夏の雨は草木の香りがする。水と植物と土の匂い。なす次郎の好きな香り。心なしか、口の中まで夏の匂いがする気がする。
いつからか鳴りだしていた雨音に顔を上げたら、洗濯物を山のように抱えた凛香が、ちょうどバタバタと走り抜けていくところだった。
「なす次郎も手伝って!」と半泣きの姉は言う。いつもそうだ。灰色の空模様。眉毛を八の字にしたまま、凛香は取り込んだ洗濯物を室内へ、そしてまたベランダへ。部屋の中でくつろいでいたなす次郎は、慌ただしい姉の姿を目で追いながら「雨?」と寝ぼけた声で聞き返した。雨か。安心だ。これで畑のナスがよく育つ。再び目を閉じようとしたなす次郎に、凛香は泣きそうな声で言った。「みんなの分、入れちゃわないと」目を開くと、青い尻尾が揺れている。凛香はいつも焦ってる。いつもあれこれ、気にかけて、心配している。人の分まで。
あわあわと声を出す、姉が困り果てたようになす次郎を見る。「早くしないと、じきに…」彼女がそこまでつぶやいたその時、空が急に暗くなり、耳をつんざくような低い轟音が響いた。「きゃあっ!!」っ目も眩むような閃光になす次郎は目を細めた。近くに落ちたかも。凛香は床にうずくまって耳を押さえている。「ねーちゃん、大丈夫?」ため息を吐いて、彼女が投げ出した洗濯物を拾った。俺のTシャツ…兄貴の服も。靴下も、濡れてる。全部。仕方ないか、この雨じゃ。
「やり直しだねえ」と、力なく凛香が笑う。「だめだなあ。こんなんじゃ」
「別に。雨に濡れただけだろ。また乾くよ」
なす次郎はそう言って、洗濯物を拾った。ぐす、とかなんとか、後ろで聞こえたような気がしなくもないけど、雨の音にかき消されてよくわからなかった。そう、たぶん気のせいだ。姉に背を向けたまま、洗濯物を抱え込む。洗濯バサミを探して片手をポケットに突っ込めば、中にはキャンディの包み紙。ああこれか、と歯を舌でなぞって思い出す。夏の雨の香り。凛とした、なす次郎の好きな香り。
「ねーちゃんにあげる。味ないから」
小さな丸い透明のキャンディを一つ、手渡された凛香はきょとんとして、それから、いつものように、困ったように笑った。
@black_o_kami