図書館で本を借りたら、偶然にもその本を読む朗読会が週末ある、というチラシが目に止まった。読まれる予定の作品は全部知らない本だけど、予定もとくにない。参加無料みたいだし行ってみるか。って感じで行ってきた。すごくよかったです!

本来は耳で聞くよりも目で読みたい派…。オーディブルとかも、集中しなきゃいけなさそうでだるいな、と嫌厭してたけど…。そもそも朗読って、読書とはまるで違う体験なんだなあ、と思った。

少し暗くなった小さな部屋。挨拶する人から伝わるちょっとした緊張感。紙をめくる音。それから目の前から響いてくる、落ち着いた声。どんな物語なのか知らずに出会う本の温度感。目を閉じて、自分の頭の中だけで見る物語。終わったあと心地よい気持ちになった。3作品を20分ずつ朗読してもらって、1時間があっという間だった。

そのうちの1作品、手元に本があったからわかったことだけど、聞き取りやすいようにいろんな工夫をしてくれているようだった。音だけで判断しづらい単語は、なくても成立しそうなものだけ省いたり、てにをはを調整したり、時間内にまとまるようにかいつまんで読んでくれてる部分もあったり。この本は分厚すぎてなかなか手をつけられてなくて、(借りる前はこんなに分厚いって知らなくて…もごもご)朗読会が終わったら読み始めようと思ってたので、「続きが気になる方はぜひ図書館で借りてください」という言葉に背中を押されたような気持ちになった。よし、読もう…!

会が終わったあと、朗読してくれた人たちとちょっとしたコミュニケーションを取れるのもいい。読まれた中で、すごく好き!と思った本があって…と話しかけてみたら、脚本家さんが書いた小説なのよって教えてもらった。そっかあ。やっぱりそうなのか。私はやっぱり、映像的な小説の方が好きなんだな。脚本のト書きでも確かに、耳に心地よいテンポで、というのは意識されることで、でも小説を書く時ってあんまりそこは考えてなかった。三人称って説明入れやすいし、余計なこと書きすぎちゃってるのか、という気づきを体験として理解した。

小説のテンポっていわれてもあんまりわかんないけど、音で聴いて心地いいテンポならわかりやすい。というわけで参考にすべく、その人の本をそのまま借りてきた。今思うとなぜ最初に思い付かなかったのかって感じだけど…。でも偶然が重なって、その先で探してたものかもしれない新しいことを見つけられた気がして、すごくうれしかった。帰り道、桜吹雪の中をるんるんで歩いた。

次回は1ヶ月後。どれも知らない本だけど、多分面白いと思う。また参加したい。できたら勇気出して、朗読のコツとか、ちょっとだけ聞いてみようかな。
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絵文字ありがとうございます🙏
春は、なんか新しいこと、やってみたくなるよね。
最近ますます言葉が難しい。自分がそうありたいって思ってるだけのことなのに、相手にもそうあるべきだって押し付けるような言い方になってしまったり、自分が思い込んでいることが相手にとっては全然見当違いのことだったりする。自分が信じたいことを、強く思うときこそ気をつけないとなあ。反省しなくちゃ。

昨日は屋外で過ごすには寒すぎて、室内で過ごすには暑すぎた。なんだかそれだけのことが、すごく疲れちゃった。3連休の最終日、無理して外に出たのに、あんまりよくなかったなあ。体力が弱っていると、考える力も少なくなって、言葉も雑になってしまう。頭も心も体の一部だもんね。季節の変わり目、すべてが難しい。無理せず、できる範囲で素直に過ごそう…。▲CLOSE
桜の開花宣言を受けて、近くの公園でも咲いているのかどうか見に行ってみた。まだまだつぼみだったけど、5輪咲いていることは確認できたので、僭越ながら私から、ご近所エリアの桜の開花を宣言します。✌️。

気象庁が発表する桜の開花宣言には、作法みたいなのがあるのでしょうか。ニュースを見ていたら、スーツ姿の職員さんが指差し確認しながらお花の数を数え、丁寧に手元のクリップボードになにやら書き込んで、それからTVカメラに向き合い、居住まいを正し、息を整えて、ゆっくりと口を開き、「開花を宣言します」と言っていた。ちょっとドキドキするような緊張感の中に、おお、っと周囲の人のどよめきが聞こえてくる。標本木の周りの柵を覆うように見守っていた大勢の人たちが、みんな笑顔になり、拍手が送られる。それを見てなんだかこっちまで笑顔になるし、咲いたのか〜って嬉しくなったりする。お花が咲いたことがこんなふうに政府機関から発表され、こんなふうに喜ぶ姿がニュースで報道される国、ほかにもあるのかなあ。

アメリカの春の風物詩はグラウンドホッグっていうジリスで、冬眠から目覚めた彼らの様子で、本格的な春の到来までどれくらいなのかを占うらしい。ジリスをカゴから取り出して、天に掲げてる燕尾服姿のおじいちゃんたちの様子をテレビで見た。あのときはおもしろくて笑ったけど、桜の開花宣言も似たようなものかも。

みんなで拍手して、春の到来を喜ぶ。儀式めいた形式の仰々しさが、和やかな空気の中に存在していて、そのちぐはぐさが面白い。でもその仰々しさは真面目さでもある。真摯に向き合って、大切にすること。桜の開花がこんなにも大切にされていること自体が、私は嬉しいのかもしれない。だからまだまだ満開の時期には早いとわかっていても、るんるんしながら早速桜の木を見に行ってしまったのかもしれない。満開になるのが楽しみだ。

余談だけど、『恋はデジャ・ブ』(1993)の原題が『Groundhog Day』なんですね。名作って言われてるし見たいと思いつつ見れてない1本ですが…グラウンドホッグに占わせる日をずっとループするのかな…もうおもしろいじゃん…。▲CLOSE
2月末は我が家の犬のお誕生日だった。プレゼントに買ってあげたベッドがやっと届いて、さっそく使ってみてほしいけど、ぎちぎちに圧縮されたクッションがまだ膨らみきってない。最大72時間置かないといけないらしいが、待てなくて24時間でもうベッドに詰めた。見てみてテディ。どうおもう? ふかふかだよ。これは車の座席にもつけられる。病院に行くのも超快適だよ。テディは眠そうに私をみて、そのままこたつの中に入っていった。

テディは16年目の犬生に突入した。まごうことなきおじいわんだ。日中は眠ってることが多いし、目もあんまり見えてないのかちょこちょこぶつかってくるし、毛も赤ちゃんの頃に比べたらずっと薄くなった。でも、大きな病気もしてないし、毎日散歩に行くし、抱っこしようとすると走って逃げるくらい元気。だから普段は年齢のことは忘れている。ただ、ふとしたときに思う。ねむってるとき、ちゃんと息してるかどうか、お腹を見つめてしまうときがある。

少し前に、散歩の途中で買い物に行った家族を、スーパーの入り口でテディと二人で待っているとき、通りすがりのおばあちゃんがテディに声をかけてくれた。なんさいなの?と優しく聞いてくれたので、16歳になりました、と答えたら、あら長生きねえ!と目を大きくして教えてくれた。「うちも飼ってたの。フレンチブル。かわいかった。でも、9歳のとき、スッといっちゃった。」

スッと、という部分がふわ〜っとゆっくり頭の中に降りてきた。たまにお散歩中に声をかけてくれる犬連れではない犬好きの人たちは、たいてい、別れを経験している先輩だ。何度も聞くこのセリフに、なんて返したらいいのかいまだにわからない。胸がじんわり苦しくなる。ずっと一緒にいられるわけじゃないってわかってるけど、それが来ないといいなあっておもう。おもうしかない。おばあちゃんと別れた後は、そればっかり思い続けながらぼうっとしていた。テディは終始無言のまま、じっと店舗の出入り口を監視し続けていた。いつもどおりで、それがかわいくて、ちょっと触ったら振り払われた。それもいつもどおり。かわいい。

サイズに余裕を見て選んだはずのベッドは、テディが寝っ転がるとみちみちで、ある意味ジャストフィットだった。ここまでクッションがみちみちだと通気性の面が心配だけど、背中とお尻をしっかり支えてくれるから寝心地は今のところいいみたい。眠かったのか、クッションの間に思ったよりおとなしく収まってくれた。

ゆっくり上下するテディのお腹を、眺めながら思う。ずっと一緒にいられたらいいのに。人間と犬は、呼吸するスピードさえも違う。だからいつも見てる。見ていれば、テディのかわいさも、テディの気持ちも、テディの変化もわかる。一緒にいられる間は、ずっと見てるつもりだ。そして長生きしてくれ〜って願い続ける。でもたぶん、これはテディには伝わってないと思う。それでも大丈夫。犬はいるだけで良いんだから。▲CLOSE
鯉壱のお祝いもできてなかった。お祝いしてくれたフレンドさんたちありがとうございます🙇‍♀️ 擬じゃないけど、誘われた合同誌の原稿をやっていました。でもビリだったし締め切りも破った。本当に申し訳ない…。

締め切りを守れ、というのは大人として当たり前のルールだけど、守るためにはやはりそれなりの創意工夫と訓練が必要だ…。スケジュール調整、先延ばし癖との戦い、こだわりやプライドを捨てる決断力…。自分の状態や予期せぬトラブルがあったりするし、守れなくても仕方なくないですか?!って喚きたくなる自分もいる。でもさ、毎日少しずつやってたらできてたよね? はい。その通りだと思います…。

毎日少しずつ、ってやつが苦手だ。(ここの日記、苦手なことばっかりじゃない?)できるようになるべきだと思うし、なりたいと思うし、毎日やるぞ!とも思う。でもできてない。追い込まれて必死にやってるばっかりだ。

この日記も、実は文章力向上と、日々の記録と、「毎日少しずつ」の訓練、という3つの使命を帯びているはずなんだけど…。ご覧の通り…。

継続は難しい。でもできないものをできるようにするには、練習あるのみ。ということは、いまできるレベルを探してやり続けるっていうことだ。ごちゃごちゃ言ってないでとにかくやれっていうこと。諦めるな。

ともかくみなさん、その合同誌の頒布が遅れるのはわたしのせいです。本当に申し訳ございません…。でも可愛く描けた! 喉元過ぎればなんとやら、というやつかもしれないけど、無事に提出できたことはよかった。待ってもらってありがとうございました。本になるの、楽しみ…▲CLOSE
春だし、あったかくなってきたからリングフィット再開した。
起動したらちょうどボス戦で、スクワットさせられまくって足がめちゃくちゃになっちゃったよ。

筋肉痛がひどい。はしゃいでやって、オーバーワークになってしまった気がする…。だって一回始めたら途中でやめられないんだもん!フッキンリーもめちゃくちゃ煽ってくるしさあ! でも夜のお散歩は背筋を伸ばして歩くのが少し楽だったような気もする。運動って…大事だなあ…。

RFAは同年代の人たちの運動プロフィールを見ることができる。総プレイ時間とかレベル、何分前に運動してたか…。発売から随分経ったし、みんな遥かに高みにいるのかな…と思いきや、最近始めたての人も結構いた。

そうだよね、がんばりは人それぞれだよね。特に運動は体を使うから、自分のペースでしかできないもんね…。そう思えたらちょっと気持ちが楽になった。積み重ねも大事だけど、まずは一回一回をきちんと筋肉に効かせていきたいね。



下書きに入っていた映画のこととかをしれっと増やしました。(ここは己の記録も兼ねていて、後から増える投稿も多いけど、気にしないでほしい…。)
絵文字ありがとう〜🖐️ みんなも元気でね。▲CLOSE
友達はなぜ私と仲良くしてくれるのかなと我に返るとき、お互い、たまたまそこに居合わせた中で選んだということの、ただその小さなことの積み重ねのような気がする。

いつのまにかいろんな人と近づくのが怖くなって、居合わせるという機会も減らし続けてしまった。でもまた我を忘れて近づいて、しまったと思って引っ込んだりすることの繰り返しなんだろうな。何かしてあげなきゃとか、役に立たなきゃとか、気負うとよくない。たまたまそばにいることでお互いちょっと楽になるくらいが、ちょうどいい距離感なんだろうな。

居合わせることは小さなことだけど、し続けようと思うと案外むずかしい。でも自分が楽しんでいるときや、不安がっているとき、私は一緒の気持ちになっている人を見つけてきたんじゃなかったかな。一緒にやろうと声をかけたり、かけてもらったりしてきたから、いっしょに過ごした時間がある。短くても長くても、たとえ一回きりでも、はじまりの瞬間は小さく、でも確かにあった。それはすごく素敵なことだな。
きょうはあったかかったからテディと広い公園にお散歩に行った。いちごとクリームチーズを適当なロールパンにはさんだのをもっていって公園で食べてたら、ありとあらゆる犬と小さい子供さんがこちらを見てきてよかった。

来る途中に私たちを颯爽と抜き去っていた自転車の男の子たちも、公園でボール遊びをしていた。後ろから2台の自転車でやってきた、高校生ぐらいの男の子たち。楽しそうに話していたけど、テディを見るとちゃんと避けてくれた。と、すれ違いざま、「かわいい〜」と言われてもう一人自転車に乗っているのに気づく。後ろに設置したチャイルドシートに、中学生くらいの男の子が無理やりお尻を詰め込んでいた。でかいぬいぐるみじゃないんだから…。と思いつつ、でもなるほど、それなら二人乗りとしてもセーフ…なのか? 面白かったし、なんだかその雑な感じから親しいのだろうなあという関係性も感じられて微笑ましい気持ちになった。

鯉壱もああいうふうに雑に、どこへでも一緒に、無理矢理にでもついて行ってたらかわいいなあ。
タヌキを見た。犬との夜のお散歩の最中に、見知った住宅街の、十字路で。

左側の道からふら〜っと現れたその影を、最初は犬だと思った。手にしているリードを短く持って、テディが飛びかからないようにしながら様子を見る。犬種はなんだろう。よく見えないけど、背が低くて丸い。落ち着いた足取りだから、子犬ではなさそう。でも変なのは、あんまり地面を気にしていないこと。そして後からリードを持った飼い主が現れないことだ。

犬じゃない。そう思った時、その生き物はちょうど十字路の真ん中に辿り着き、電信柱のてっぺんについた明かりの真下を通りかかる。ふさふさの姿が現れる。
少し前にタヌキとアライグマとハクビシン(後半2種類は最近街に出没する方々)の違いをウィキペディアで勉強したばかりで、どこを見たら相手が何者なのか判別できるか私にはわかっていた。尻尾だ。黒くて太い。「タヌキだ」と思わず呟いたとき、相手もこちらを見た。

一人と一匹の目が合う。コンクリートの道路の上、十字路のど真ん中に佇み、明るいLEDに照らされているタヌキ。こんなところで何をしているんだという驚きはあったけど、怖い感じは一切ない。タヌキは、警戒して構えることも、取り乱して逃げることも思いつかないような感じ。困ったように頭を下げて、こっちを見つめて、「ああこんばんは。迷子になってしまいました、はい」とでも言い出しそうな感じだ。おおこれこそタヌキ。SNSで見かける、タヌキのタヌキらしさの部分だ。

コンクリートで覆われ、狭小住宅がひしめいてはいるけど、この辺はもともと急な坂だらけの山だ。まだところどころ林もある。今まで一度もお目にかかったことがなかったけど、私たちはずっとご近所さんだったのかもしれない。

「お家に帰れるのかな」と独り言のように話しかけたとき、タヌキは一時停止の白線を跨いで歩き出した。我に返って足元のテディを見る。テディはまだタヌキに気づいていないらしく、紫陽花の植え込みのあたりを気にしていた。強風でどこからか飛んできたビニール袋がひっかかっていて、それが気に食わないみたいだった。袋を取り払って、十字路に視線を戻す。しかし、そこにもうタヌキはいなかった。

そのあとの散歩中は、タヌキのことばかり考えていた。このへんにもタヌキって住んでるんだ。何食べてるのかな。無事に帰れただろうか。普段は車通りも多いし、夕方には散歩中の犬もたくさんいる。近所の野良猫にもやられそうな感じでちょっと心配だ。タヌキは夜行性らしい。テディや私も、車や犬や猫に極力遭わない、眩しくない静かな夜中の散歩が好きだ。似た気配を感じる。また会えないかな。無事に家に帰れてたらいいなと思う。▲CLOSE
冬季五輪おもしろい!!

迫力がすごいね〜! どの競技にもスピードとスリルがあって、展開も早いからあっというまに引き込まれる…見てるだけでアドレナリンでるよ…。夏の五輪に比べてそれほど興味を持って見てこなかったけど、こんなに面白いんだ。力学が働いているのが素人目にもわかるから、見ていて「しんどいだろうなあ…!!」って感情移入してしまった。高さやスピードを制する技術、相手選手との駆け引き、精神力…。ハイになるよ…。

雪上を滑る競技は、一試合が一瞬で終わってしまうものも少なくない。瞬きする間に逆転したり、一瞬のミスが結果に大きく響いたりするから、目が離せなかった。変化する雪面の状態さえ影響するというのがわかってからは、運も実力のうちなんだという現実が残酷に思えてきた。競技前の緊張、ミスでの動揺、結果が残せたことへの喜びや、本来の力を発揮できなかったことへの後悔の表情…全部映ってる。メダルを取ることの難しさや意味のことを思う。本当にすごい戦いだ…。僅差で、勝ち抜くことができた人が世界一になるんだね…。

メダルがいくつとか、誰が金メダルになったとか、結果だけ文字で見るのではわからないことがたくさんあった。雪山を滑る選手の姿、勇気と覚悟と技術。自国の人だけじゃなくて、みんな応援したくなったよ。

冬季五輪、アツいなあ…。▲CLOSE

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