エラー。俺は心臓が一瞬だけ静止するのを感じる。
エラー。赤が俺の網膜を焼いた。
エラー。体が動かない。
エラー、エラー、エラー。
エラー。たった今、脳内回路に深刻なエラーが発生しました。
判断能力低下。思考能力停止。感情制御不能。爆発します。3、2、1。
「俺を見ろ」
ヴィンセントは俺の右頬を思い切りひっぱたく。俺は目を見開いて、彼を見る。
嗚咽を漏らして、俺は俺を縛り上げているロープをほどこうと躍起になる。
ヴィンセントが椅子に座ったまま俺を見下ろしている。
助けてくれ。助けてくれヴィンセント。俺の頭は爆発しそうなんだ。
お前の目の前でドロドロの脳味噌をぶちまけてもいいのか?
ヴィンセントは薄ら笑いを浮かべたまま、答えない。
「や、やめてくれ!」
俺は気持ちの悪い汗を流しながら、飢えた狼のようにぎらついた目を輝かせるヴィンセントに向かってうわずった声で叫んだ。
ヴィンセントの手にはピストルがある。黒くて冷たいピストル。赤い液体が飛び散った、ピストル。
彼のブーツにも、レザーのジャケットにも、髭の生えた顔にも、赤い雫。
飛び散ってる。滴ってる。全部血だ。
ヴィンセントが俺を見て笑う。
サイレン。頭いっぱいに、非常警報。
警戒してください。イカレた男の発砲に警戒してください。
こいつは俺を殺すつもりだ。俺の仲間みたいに。
血しぶきは全部、すぐ隣からあがった。
ヴィンセントは俺の隣に転がった俺の仲間だったものをピストルでつつきながら、俺に優しい声で聞いた。
「あの子はどこだ?」
「知らなかったんだ!」
俺は叫ぶ。悲鳴を上げる。
俺は知らなかった。知らなかったんだ。俺のせいじゃない。助けてくれ。
右の頬にヴィンセントの拳が食い込んだ。俺は吹っ飛ばされて、汚いコンクリートの地面を滑って、全身を打ち付けた。口の中が熱い。血の味がした。
逃げなきゃ。逃げなくちゃ殺される。這ってでも逃げるんだ。俺の本能が叫んでいた。
耳をつんざく銃声。激痛。自分の絶叫に耳を傾けてはならない。じゃなきゃ、気絶しそうだった。
鉛の弾を撃ち込まれた右足をかばいながら見上げた先で、ヴィンセントは俺を見下ろしていた。
血まみれで、泥だらけで、涙を浮かべた俺を、嬉しそうに見下ろしていた。
「俺は質問してるだけだぞ。言えよ。分かってるさ、どうせ生きちゃいないんだろ? お前が殺したのか? 死体をどこにやったんだよ」
「俺は何も知らない!!!」
俺は絶叫する。痛みで頭が真っ白になりそうだ。
耳の奥でずっと、警報がわんわん鳴り続けている。
警告、逃げてください。今すぐに逃げてください。
出血量、蓄積ダメージ、あなたの生存率、80%、79%、78%………
「頼むよ。教えてくれなきゃ俺が困る」
ヴィンセントが俺のこめかみに銃を押当てる。俺はパニックになる。
知らないっていってるだろ、知らないんだ、俺は本当に知らないんだ。
口が勝手に喚き続ける。叫べば叫ぶ程口の中に血の味が広がる。俺はパニックになる。
そんな俺を見て、ヴィンセントの顔に浮かんでいた笑顔がだんだん消えていく。
舌打ちとともに、ヴィンセントは不機嫌そうな顔で俺を睨んだ。
「この街にお前のようなクズがどれくらいいると思う? 非力な市民を恐怖で怯えさせるクズどもがだ」
忌々しそうにヴィンセントは言った。俺は肩で息をして、泣きながら首を振る。
痛い。血が流れていくのが分かる。死にたくない。
「俺はお前らみたいなクズを殺してもいいことになってる。なんの罪も無い少女を誘拐して、バラバラに切り刻んで海に捨てるようなろくでなしだ、お前らは。そのクズを退治する俺は正義のヒーロー、そうだろう?」
ヴィンセントは持っているピストルを持て余しながら、ひっくり返して眺めながら、うっとりとそう言った。
俺は泣いて、泣きながら震えて、それでも逃げられずにヴィンセントを見つめた。
口の中の血が、喉を伝って降りていく。
「お前らクズを殺して、俺は街に胸を張って堂々と帰還する。凱旋帰還。素晴らしい気分だぜ。可哀想に、お前にはあの気分は一生分からん。ヒーローってのは素晴らしい。愛するヒーローの正体がお前らクズと同じ人殺しだってことに、悲しいかな、誰も気付かない」
イカレてる。
俺はヴィンセントを見つめる。目玉が動かない。貼付けられたまま、動かせない。
ヴィンセントは俺を見る。ピストルを俺に向けてみて、片目を瞑り、俺の眉間に照準を合わせる。
俺は喉をひくつかせる。
「俺はヒーロー。お前は悪者。だから俺が殺してやる。これは崇高なる正義の執行か否か? 守られるばかりで現場を知らないヤツらにその答えなんか分からない。そしてそれすらどうでもいい。不思議な生き物だよな?」
にやりと、ヴィンセントの口角が持ち上がる。
お願いだ。俺は血の泡を吐きながら言う。助けてくれ。死にたくない。
後ずさりする俺の手が、誰のか分からない血だまりに突っ込む。感覚さえ感じない。分からない。
警報が鳴り続けている。頭の奥で、知らない誰かの声がする。
あなたの生存率、30%、25%、20%………
「どうだっていい」
ヴィンセントは再度言った。言ったろ、お前だって俺にとっちゃどうだっていい。
……15%、10%を切りました。危機的状況です。
声が言う。死に備えてください。
俺は目を見開く。ヴィンセントがまた、笑う。
「俺はヒーローでいたいんだ。悪いな」
エラー。銃声。
エラー。脳内に異物侵入。
エラー。判断不能。
エラー。体内機能の急速な停止。
エラー。生命活動の維持、不可能。
3%、2%、1%………
エラー、エラー、エラー。
エラー。
正義が、実行されました。