眠る猫を眺めているときの幸せを思い浮かべてください。目を閉じて、小さく寝息を立て、くるくるした毛が息をするごとに上下する。手や足に触るとあたたかい。嫌がるかもしれない、と思いながらそっと顔を埋めれば、やわらかないい匂いがする。
朝目が覚めると、そういう幸せが隣で寝ている。大きい猫だ。緑色の頭をくしゃくしゃにして、目を閉じている。
猫みたいな彼は、昨日夜遅く帰ってきて、すっかり眠っていたエマの布団をわざわざ剥いで彼女を起こし、文句を言う彼女の声を聞きながらその隣に倒れこむと、気絶したように眠った。エマはビビった。嫌がらせに不信感を覚えたわけではない。フリッカという男は、日常的にこういう嫌がらせを彼女にするのだ。彼女が不安になった理由は、フリッカが珍しくばったり倒れて眠ったことだ。正義感の強いエマは、はじめこそ文句を言おうと彼の背中を揺すった。だが反応はない。耳を寄せると熊みたいにぐうぐう寝ていた。壁にかかった時計はもう午前4時を指している。どこで何をしていたのかはわからないが、覗き込んだ顔色はそんなにひどくない。エマの方も彼の帰りが遅いので、普段より頑張って遅くまで起きていたのだ。でも規則正しい生活リズムの中で生きる健康優良児の彼女にとって夜更かしは難しい試練だった。そのせいで彼女はひどく眠たかったが、とにかく、彼が自分のベッドへちゃんと戻ってきたので、怒りを鎮めておかえりと言ってやった。それから夜が明けて、朝になって、エマはもう一度目を覚ました。
タイマーで電源が入るようになっているTVから、災害のニュースが聞こえていた。昨日の夜、地震があったらしい。エマが寝ていた間だ。フリッカはどこかで帰れなくなってたのかもしれない。エマが目覚めたのに気づいているのかいないのか、大きな背中がもぞもぞ動く。寝返りを打って仰向けになったフリッカの顔をエマは息を潜めて見つめた。
フリッカは大柄な男なので、寝ぼけた彼に力任せに抱きしめられたり、重たい腕を胸の上に投げ出されるとエマはすぐ苦しくなる。それで済むならまだいいが、不意に触ると力任せに投げ飛ばされる時もある。だから本当はさっさとその場を離れた方が良かったのに、エマは彼が動くんじゃないかと警戒しつつもそのまま隣に居続けた。夜の間は暗く真っ黒に見えた髪も、朝の青白い光に照らされて深緑色を反射している。
眠ったフリッカはかわいい、とエマは思う。ベビーフェイスというやつ。女の子みたいな顔をしている。と、本人に言ったら殴り飛ばされるだろうが。
「赤ちゃん」
ぽろりと転げ出てしまった言葉に気づいて、慌てて口を結んだ。
彼の腕は、エマが恐れた瞬間に動いた。でもそれは彼女の胸の上ではなく、エマの手のひらに重ねられて、彼女の腕を握った。そしてそのまま、止まった。
「エマ」
と、フリッカが口を開いた。朝に弱い彼は、今日に限って何かモゴモゴ喋っていた。エマはフリッカの腕をぎゅうと握りなおして、なあに、と返事をした。たぶん、フリッカは何も答えないと思う。寝ぼけているだけだ。返事が来なければいいなと思った。このまましばらく手を繋ぐだけの時間が過ぎてもいい。重ねた手があたたかい。
でかい猫じゃなくて、でかい赤ちゃんだな、とエマは思い直す。そうか。図体ばかりでかいけど、きっと、俺はこいつが心配なのだ。子供じみたこの男が、傷ついたり悲しんだりするのが嫌なのだ。
二度寝をしようかな、とエマは思った。乱暴者の彼が起きたら、こんな風に隣で、のんびり寝てはいられなくなるのだから。