世の中の善意と優しさに満ちた親切に拒絶反応を起こした私の可愛い彼は、ひとしきり泣いてからベッドの上でぐったりして動かなくなった。わけがわからなくなって、正常な判断ができなくなった彼に「俺と一緒に死んでくれ」なんて言われたら死んであげてもいいかなと思っていたのに、彼は最後までその贅沢を私にさせてくれなかった。一人で泣いて、来るなと叫んで、いつのまにか疲れ果てて眠ったらしい。いつも私が寝ている寝室から私を締め出して、彼は勝手に一人で眠った。相変わらず自分勝手で、気まぐれで、訳の分からない男。
こっそり寝室のドアを開けて、音を立てないように気をつけながら部屋を覗く。ハチルはベッドに突っ伏して、向こう側を向いていて、顔は見えなかった。頭の後ろ、ぐちゃぐちゃになった髪は、穏やかな寝息にあわせて上がったり下がったりする。
彼が脱ぎ捨てて床に落ちていたジャケットを、私は丁寧に拾い上げて、抱きしめて、顔をうずめた。彼の匂いがする。出来心で袖を通してみたら、やっぱりぶかぶかだった。
ベッドにこっそり座って、彼の顔をのぞき込んだ。ハチルは眠ったまま目を覚まさない。何があったのか、どうして私のところに来たのか、眠った彼は答えない。
「ハチルちゃん」
届かないと分かっていたけど囁いた。囁いて、彼の頬に指を滑らせる。少し濡れたその顔に、相変わらず綺麗だな、と心臓が勝手にときめく。指の先で彼の頬をなでて、キスをしたら目覚めるだろうか。王子様のキスで目覚めるお姫さまみたいに、ゆっくり目を開けて、もう一回して、と笑う彼を見たかったけど、頭の中では分かっていた。彼の王子様は、私じゃあないってこと。
「今日は誰と一緒だったの」
答えないと分かっていたから、届かないと分かっていたから、わざとそう言った。
「ねえ、誰かに、誰かに酷いことされたの?」
分かっていたけど、襲ってきた静寂は思っていたより少し辛くて、たまらなくなった私はハチルの手を握る。手袋は勝手に外して、適当に床に捨てた。私の手よりずっと大きい手のひらを、勝手に頬に当ててみたら、思ってたよりずっとあったかくて、それがなんだか辛くて、私は眠ったままの彼の隣で勝手に一人で泣いた。
答えてハチルちゃん。教えてよ。
自分勝手に泣くのを止められない。あなたを想ってピストルを握るのをやめられないみたいに、いつだって私は自分勝手に、あなたをここに縛り付けておきたいと思うのをやめられない。自分の秘密をあかす勇気はないクセに、あなたの全てを知りたいと、自分勝手に思わずにはいられない。
ぽたぽたと、涙が落ちる。落ちて白い布団にシミをつくる。
答えてハチルちゃん。わたしのこと、好きっていって。
私が泣いても、彼は目を覚まさない。相変わらずスヤスヤ眠って、時折苦しそうに何か呟いて、私は彼を苦しめているのが、私だったらいいのにと心の中でそう思う。寝ている間、今この時だけは、わたしのことで、頭がいっぱいになればいいのにと、自分勝手にそう思う。
彼の腕を抱いたまま、そのまま後ろに倒れこんで、私は彼の背中に頭を載せた。
彼の体はあったかくて、それだけでこれが幸せなんじゃないかと錯覚する。
大きすぎるジャケットと、彼の匂いに包まれて、私は胸いっぱいに息を吸い込んで、彼の見ている夢を私も見られますように、そう祈りながら、目を閉じた。