黒猫姿で目の前を堂々と横切った彼女に、ハロウィンってのは何でもありだなと思う。
かわいい猫耳をはやした彼女とちらりと目があって、仕方なくゆるゆると微笑めば、黒い子猫は微笑みもせずつかつかと俺の側までやってきて可愛らしく鳴いた。
ふわりと漂う甘い匂いにめまいさえ覚えながら、俺はあきらめの笑顔を浮かべる。
「…迷子ですか、シシーちゃん」
こんなとこ転に見つかったらやべェなと思いつつも、彼女の小さな肩からおもいっきりズレたマントをきちんとかけ直してやる。黒猫の耳としっぽは付いているけど、黒いマントと帽子は魔女みたいだ。
しゃがみ込んでマントの紐を首の下でリボン結びにしてやったところで、転の可愛い妹はふるふると首を横に振った。
「兄さんがいなくなったの」
そりゃ残念、大人はそれを迷子っていうんだよ子猫ちゃん。
辺りはすっかり暗くなって、オレンジ色の光で賑やかだ。俺は辺りを見回すと、消えた兄さんを捜して首をまわす。ハロウィンに浮かれて酔っぱらった危ない大人がうようよしてる。しかも今夜はカーニバルのパーティーで、身も心もモンスターになりきってるヤツらが大勢騒いでいた。こんな日に自分の命より大事な妹を見失うなんて、あいつらしくもない。
「一人で歩いたら危ないぜ」
シシー可愛いんだからさ、そう付け加えてからハッとして彼女の後ろを見上げたが、そうだった、怖いお兄さんはいないんだった。それこそが問題なんだった。
俺は頭をがくりと落としつつ、地面に小さな舌打ちを落とす。何やってんだよと嘆かずにはいられない、だってそうだろ、なるべく関わりたくないけど、放っとくわけにも行かないじゃないか。
嘆く俺の頭をシシーがふいにぽんぽん、となで付け始めるから、この子の優しさに胸を打たれると同時にこれ見られたら俺殺されるんだろうなぁって泣きたくなる。
半泣きでありがとう、って呟くと、シシーは短く頷いた。
いつまでもしゃがみ込んでるわけにはいかなくて、俺は重い体を引きずるようにして立ち上がる。
最後の最後まで迷ったけれど、この手を繋がなくて彼女に怖い思いをさせるのがものすごく怖かったので結局しっかり繋いでやった。
シシーは差し出された手を大人しく握って、俺を見上げる。
俺をじいっと見つめる視線、控えめに、でもしっかりとその愛らしい生き物の存在を主張する香り。くらくらする。空いた右手を額にやってから一瞬ひどく冷静に考え込んだ。俺大丈夫かな。
ふいにつないだ手を引っ張られて、俺はなすがままに膝を折る。
なに?と首を傾げたら、すぐそばでいい香りがした。
「この手袋も仮装?」
「違うけど」
「とっていい?」
「なんで?」
「握りにくいの」
あ、そうですか。わがままなお姫様だな。
あとで何されるか分からないので、仕方なく俺は言われた通り左手の手袋をひっぺがすと、ポケットに突っ込んだ。
彼女が大人しく俺の左手に右手をのせて、それから俺は立ち上がる。
小さな手が俺の手をぎゅっと握る感覚。普段、手袋のせいであまり意識したことなんかないだけに、やけに暖かく、懐かしく感じてしまう。
うっかり見下ろした先で俺を見上げているシシーと目が合って、思わず可愛いな、なんて思ってしまったりして、やばいやばい、どきどきと心臓を痛めながら、俺は目を細めて転を探した。
賑やかにはしゃぐ夜の街。怪しいオレンジの光。何もかも頭にはいってこない。
頭の中を支配してるのは、左手を占領してる小さな手のこと。
転なんて、見つけられるわけない。あいつを捜す余裕なんて、ない。
この子の可愛さは体に悪い、胃がひっくり返りそうだ。
胃は痛いし、心臓はうるさいし、頭は空っぽで、なんだか酷く緊張する。
何が原因かは分からないけど、このままこの手を握り続けてたら、どっかがおかしくなるに違いない。
あいかわらずゆっくりマイペースに俺の隣を歩き続けるその小さな姿は、その愛らしさでじわじわと俺の体を蝕んでいく。
きっとそれを意識することもなく、だからこそ抗えない、性質の悪い可愛さで
彼女は知っているんじゃないかとさえ思えてくる。
俺が頭でそれを理解していても、結局、なすすべもなくダメにされてしまうことさえも
意味もなく焦っていたら、つないだ手さえうっかりぎゅっと強く握り返してしまいそうになって、俺はため息を隠しながらシシーを見下ろした。
「転、どこに行ったんだろうね」
本当のことを言えば、君と手をつないで仲良くお喋りしながらあんな男に会いたくなんかないんだけど。
苦笑まじりに吐き出した言葉に、シシーは俺をそっと見上げる。
きっとこの子は気付いてるんだろうな。俺の心に彼女が作った、この感情のこと。
俺のセリフが、転に怒られるからってだけじゃないってこと。
その証拠に黒猫姿の可愛い彼女は、小さく微笑むと、何も言わずに俺の腕を少しだけ強く握った。
(あァ悪夢だって言ってくれ、君がたまらなく可愛いよ!)