THE DOOR #2

どんどん歩いて廊下を抜けていくと、白くて大きい部屋に出た。
お城は広くて、あちこちのドアが至るところにつながっている。この城は迷路だって、カーキス先輩が言ってたっけ。一度迷ったらまた入り口からやり直し。熟知していない部外者は自らドアを開け城の外へ排出される仕組みになっている。カーキス先輩の言うことは堅苦しい。言うことも、やることもだ。お城に来て、隊長になれば、ちゃんとした戦闘訓練とかができると思ってたのに、待っていたのは怖い先輩と紙の山。退屈すぎて死んじゃいそうだ。こっそり抜けだしたはいいけど、連なるドアとどこまでも続く廊下に頭が痛くなってきて、そろそろヒールをはいた足も疲れたし、そこの角を曲がって何もなければしゃがみ込んじゃおうかなと思っていたところに、突然大広間のような部屋が開けた。相変わらず誰もいないし、人の気配さえないけれど、壁も柱も真っ白くて、置いてあるシンプルな家具にはホコリ一つ無い、綺麗な部屋だった。大喜びで真ん中に置いてあったソファーに座ると、ぽふっと柔らかくていい感じ。思い切り伸びをして、そのまま横に倒れこんだ。

ここまで来るのにどれくらいかかったかな、とふとぼんやり考える。ドアを片っ端から開けてみたわけじゃないけど、こんなに大きいお城なのに、誰一人として会わなかった。女王陛下はどこにいるんだろう。こんな広い場所で、形も階数もよくわからないへんてこなお城で、ひとりぼっちなのかな。

わたしが三番隊の隊長試験を受けたのは、単純に街でリヴリーちゃんと遊ぶより楽しそうだったからだ。森の奥深く小さな鉄の扉をくぐって、お城に行くことを、スズメバチの女の子はみんな一度は夢に見る。どんなお城なのか、中で何が行われているのか、知っている人はほとんどいない。重く冷たい扉の向こう側で、誰が何をしているのか、一体どんな世界が広がっているのか、聞きまわっても誰も知らなかった。みんなが口をそろえて言うには、昔はあの扉も開いていたっていうことだ。扉が開いていた理由は知らないけど、扉が閉められた理由は知っている。昔話にあるからだ。

あるリヴリーの女の子が、弱ったスズメバチを見つけ、親切にも介抱してあげた。心から感謝したそのスズメバチは、手厚い看病のお礼に彼女に靴をプレゼントした。それは特別な靴で、それを履けば、リヴリーでもスズメバチのお城への扉をくぐることができた。女の子は彼に手をひかれ、暗い森の中を、迷わず真っ直ぐお城の扉の前まで来て、その扉をくぐった。彼は女の子がもうリヴリーの世界に帰れないように、その扉を閉めたのだという。

モンスターが好きそうな素敵なお話。今でも彼女の魂はリヴリーの世界ではなく、スズメバチの世界に帰るんだって。ステキな靴を履いて、知らない場所へワクワクしながら踏み入れる可愛い女の子。何も知らないまま、その手をあっさり、でも信頼しきって、大好きな彼に預けている。女の子がお城の中でどんなものを見て、どんな目にあったのか、想像しただけでドキドキしちゃう。だからそれ以来、お城へ入った女の子はみんなお城から出られなくなるって古い人達はおもっていて、ほとんどの大人たちはわたしが城へ行くのを反対した。でもそんなのは作り話。第一わたしはか弱いリヴリーじゃなくて、モンスターのスズメバチだ。金色の目を持つ選ばれしゾッドとしてわたしがここにきたのは、誰も知らないお城の中を見てみたいって思ったから。あの扉を閉めてまで、隠しておきたい何かがお城にはあって、その秘密はわたしにはとんでもなく魅力的に思えたからだ。

ここで溜息を一つ。目の前に広がる真っ白いお部屋。何もない。ホコリ一つ無い。縦長い窓の向こうでは木々が揺れ、のんびり、平和そうに鳥が飛んでる。部屋に帰ればカーキス先輩がわたしを叱ってやろうと待ってる。怖いぐらい退屈な紙の山と一緒に。どこに楽しい要素があるっていうのかな。考えろゾッドちゃん。期待はずれにも程があるほど、この城には何もなかった。空っぽだ! わたしは泣きたくなる。何にも無い。いるはずの女王様さえいないんだから! わたしは跳ね起きて、誰にともなく思い切り顔を歪めた。怒ってる、ゾッドちゃんは怒っている! ぐるりとあたりを見回して、フン、と息をついた。この広間は女王様のお部屋かしら。このソファーは? 誰のための部屋なのかしら。何もない、誰もいない、空っぽの、見てくれだけの秘密のお城。誰のためのものでもない。だって誰も居ないんだから!! そう思ったらなんだか急に悲しくなってきた。めそめそ。涙が出そうなのか、それともこの部屋の白さがわたしの目にダメージを与えているのか、わからないけど、なんだか眼の奥が痛くなってきたような気がする。

また柔らかいソファーに体を投げ出して、わたしは横になった。あの女の子はどうなったんだろう。世間知らずで勇敢な、心優しいリヴリーの少女。夢を見るように想像する。柔らかく深い黒の森の中を、手を繋いで歩いて行く姿を。その道を行ったっきり帰ってこれなかった。怖かっただろうか? きっとそうじゃない。怖いと思っていたら、自ら望んでは行かないはずだ。でも、もし、お城の中には自分が望むようなものは何もないとわかっていたら? 彼女はその手を振り払っただろうか。大丈夫、ついておいでと、優しく囁くモンスターの手を、振り払うことができただろうか。

「アンタがゾッド?」

ぎょっとして、わたしは飛び上がった。突然名前を呼ばれて、慌てて頭をあげると、すらっとした背の高い男が、部屋の入口のそばに立って、こっちを見ていた。

「カーキスから聞いてる。探すの手伝えって言われたんだ」

そう言いながら近づいてきた彼を見て、わたしはぽかんと口を開けた。ぽかんと開けて、閉じるのを忘れるぐらい彼を見つめた。彼は少し不思議そうな顔をして、首をちょっとだけ傾けて、私を見た。綺麗な、鮮やかな、黄緑色の目。その瞳に吸い込まれそうになって、真っ白い部屋に流れる時間がゆっくりになる。ハチルさん、と、息を呑むような声が、頭の中でぼんやり漂った。ひと目で分かる。彼がハチルさんだ。お城の中の、隠しておきたい秘密。あの、世に有名な、女王陛下の、

「オイ、泣いてるの?」

ぼうっとしていたわたしに彼は言う。不思議に思って瞬きしたら、途端にぽろりと涙がこぼれた。それを見た彼は一瞬だけ吹き出すように小さく笑って、それからわたしに向かってその左手を優しく差し出して呟いた。

「大丈夫だよ。ホラ、ついておいで」