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6月からは、脚本を書く時間が増える予定。いままでやってた合評会(読む練習)と、執筆会(短時間で書き切る練習)に加えて、書くための時間やリズムを作る練習のために、新たなコミュニティに参加する。大丈夫かなあの不安が8割、嫌だけど頑張るか…の気持ちが2割。

そういう未来への不安もあって、さいきん、創作に向き合おうとすると、1回他のこともやろうよ、とでもいうみたいに体が運動したがるようになった。今まで運動なんて好きじゃなかったのに。ダンスの他にも、最近は2週に1回くらいは山に登っている。

むかし山登りで気持ち悪くなった経験もあって、登山は全く好きじゃなかった。でも改めてやってみると、自分は登る体力がないわけじゃなくて、ただ標高差が苦手な部類みたい。登り始めさえゆっくり動けば、体が慣れて、そんなにしんどくないってことがわかってきた。頂上付近が一番元気まである。一番しんどいのは、下りの中盤。疲れて、お腹も空いているのに、登りよりも注意力が必要。雑に足を下ろすと、怪我しそうになる。だからとっておきのおやつをここで食べて、やる気を補充する。

学生時代、登山部の子に「なんで山なんか登るの?」と聞いたことがある。彼女は「山があるから」みたいなことを言っていて、わけわかんねーなと思った。山登りは苦しくてしんどい、と彼女はいう。楽しいから登るわけじゃない。
楽しくないのになんでやるの?とあの時の自分は思った。今の自分が、なんでだろう、と答える。無理やり探すなら、「できなかったことができた」という実感を得るのが嬉しいからだと思う。言葉にするとふつうのことだ。でも、たぶん達成感とは少し違う。これは、ああ、わたし、できるんだ、っていう安堵だ。できたんだ、っていう、あったかくてじんわりするような喜び。普通じゃない。今までの自分と少しだけ違う自分になれたことが、こんなふうに嬉しい。疲れ果てた体に満ちる、あの気持ちを味わうために、山に登る。

嫌い、と思うのには理由がある。私は登山が嫌いだった。登り方がわからなくて、みんなのペースに合わせなきゃと思って必死に登って、具合が悪くなって、迷惑かけたくなくて言い出せなくて、結局気づかれて、優しくされて、惨めになって、みんなは平気そうなのに、できない自分が恥ずかしくて、嫌になって、悲しかったから。
登り方がわかって、自分のペースで登ればいいとか、おやつはここで食べたらいいとか、自分で自分の苦しみを対処できるようになると、「登山は嫌い」と思う気持ちはずいぶん減った。「夏になる前の涼しい頃の初心者用の山に、自分のペースでなら登れる」になった。

創作の、「書けない」「嫌だ」っていうきもちも変えたい。不安のあまり、ついつい、書けないならやめろとか、そんなのやってるのは無駄とか、思ってしまいそうになるけど、今の自分の中にちゃんとあるできる部分を引っ張ってきたい。「誰かと一緒に集中すれば、10分シナリオは書ける」とか、「読みながら作者の意図を想像できる」とか。
できないわけじゃなくて、「条件付きで」ならできる。だから、ちょっとずつ登って、苦しくなったら降りよう。また登りだすときに、こうしたらいいかもって少しずつ対処して、そうしながら自分のペースで頂上をめざそう。

8月は、二度と登らないと泣きながら思った富士山にもう一度登ることになった。大丈夫かなあの不安が8割、嫌だけど頑張るか…の気持ちが2割…。でも、できたら嬉しいな、の気持ちがあるから、登山も創作も、のんびりやる。
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いない間に絵文字ありがとうございました!
山登りで見かけた子供たちの話も、あとで書いておきたいな〜。