この時期は、勇気がたくさん必要だなと感じる。新生活、新しい出会い、社会のシステムがそもそもそうなんだろうけど、一つ前の冬に考え抜いたことを実行するタイミングでもあるからね。なにかを辞める勇気だったり、始める勇気だったり。冬にはできないことが、春だと不思議とこなせる。むしろ負担も少なく感じて(あるいはめっちゃでかいけど仕方なく)、いっちょやるか、みたいなのが多い。
春っていうのは、他の季節と比べると、人や物との関係を結び直したり解いたりすることに使うエネルギーが少なくて済むんだと思う。勇気を出すための補助エンジンみたいな役割を果たしている気がする。冬に悩んだことを、春にゆっくり実行に移すって感じだ。みんなそうなのかな。
でも春という動力は、残念ながら長続きしない。夏はまだやりたいことに目を向けてられる。でもどんどん体力が削られてほとんどしがみつくみたいな気持ちでやる。秋になってくると疲れ切ってもう熱意もギリ。冬は全然何にもできない。寝て回復する。でも頭は焦ってたくさん悩んで決めきれないままでいる。だから、結局答えが出なくて、春にかけてゆっくり決めることになる。そして春になったらちょっとの勇気で実行する。それが最近のライフサイクルだ。一年スパン。うーん。
自分の理想ってわけじゃない。振り返ったらそのような気がする、という感じだ。私は春に決めたことを、ゆっくり一年かけて試して、そうしながらまた次の春に決断をする勇気を貯金しているんじゃないかな。春になったらどこかから急にボンって出てくるんじゃなくて、あくまでマイペースに、子供の積み木のように積み立ててきた行動や日常に、勇気を、元となる経験や根拠を、少しずつ貯めているんじゃないかな。最近特に、そういうふうに感じる。
子供の頃は、勇気のイメージって、グッと踏み込んでアクセルを回すパワーのイメージだった。だから勇気が出せない時、勇気がない私は意気地なしだ、と思っていた。でもたぶん、勇気ってそういうものじゃないんだね。判断のもととなる根拠を信じられれば、勇気っていらないんだよ。怖くてもそうするべきだと信じられる気持ちの補強をすること、それが勇気を作る方法なのかも。
積み上げと着地、繰り返す経験のイメージだとおもうと、勇気出すのもそんなに怖くない。▲CLOSE
春っていうのは、他の季節と比べると、人や物との関係を結び直したり解いたりすることに使うエネルギーが少なくて済むんだと思う。勇気を出すための補助エンジンみたいな役割を果たしている気がする。冬に悩んだことを、春にゆっくり実行に移すって感じだ。みんなそうなのかな。
でも春という動力は、残念ながら長続きしない。夏はまだやりたいことに目を向けてられる。でもどんどん体力が削られてほとんどしがみつくみたいな気持ちでやる。秋になってくると疲れ切ってもう熱意もギリ。冬は全然何にもできない。寝て回復する。でも頭は焦ってたくさん悩んで決めきれないままでいる。だから、結局答えが出なくて、春にかけてゆっくり決めることになる。そして春になったらちょっとの勇気で実行する。それが最近のライフサイクルだ。一年スパン。うーん。
自分の理想ってわけじゃない。振り返ったらそのような気がする、という感じだ。私は春に決めたことを、ゆっくり一年かけて試して、そうしながらまた次の春に決断をする勇気を貯金しているんじゃないかな。春になったらどこかから急にボンって出てくるんじゃなくて、あくまでマイペースに、子供の積み木のように積み立ててきた行動や日常に、勇気を、元となる経験や根拠を、少しずつ貯めているんじゃないかな。最近特に、そういうふうに感じる。
子供の頃は、勇気のイメージって、グッと踏み込んでアクセルを回すパワーのイメージだった。だから勇気が出せない時、勇気がない私は意気地なしだ、と思っていた。でもたぶん、勇気ってそういうものじゃないんだね。判断のもととなる根拠を信じられれば、勇気っていらないんだよ。怖くてもそうするべきだと信じられる気持ちの補強をすること、それが勇気を作る方法なのかも。
積み上げと着地、繰り返す経験のイメージだとおもうと、勇気出すのもそんなに怖くない。▲CLOSE
せっかく咲いた我が家のチューリップが薙ぎ倒されてた。かなしい。朝まで凛々しく立っていたのに、夜になったら超能力で曲げられたスプーンみたいにぐんにゃり曲がっていた。理由はわかる。強くて生あたたかい風と雨粒が、チューリップをプランターの土に叩きつけた。春の嵐のせい。
八重咲だし、綺麗な花びらを抱えてる分、頭が重くて雨風に弱いんだね…。つらくなって、玄関の中にプランターを引きずり込んで避難させた。一応支柱も立てて固定してみたけど、回復するかわからない。かなしいよ! こんなことなら、朝のうちに入れとけばよかったな。
雷よりも、強い雨が結構怖いかも。今日みたいに強い風に煽られてくる雨は特に。窓から眺める街は白く霞んで、よく見るとカーテンみたいに雨粒と風の軌道が見える。それが強弱をつけてガラスに吹き付けると、思ってたよりでっかい雨音がして怖い。「横殴りの雨」って、雨が殴ってるんじゃなくて風が殴ってきてるんだよな。たぶん。
いつもの時間に散歩に行けなかったから、犬を膝に抱えて春の嵐を見ていて、そのうち犬があったかくて寝てしまった。しばらくして外に出たら、雨はすっかり止んでいた。濡れた地面から夏の匂いがする気がして、テディを見る。毛皮に覆われた生き物には厳しい季節がやってくる。毛皮がなくてももう十分、手厳しい季節だけど。
▲CLOSE
季節の変わり目、合言葉は「体が暑さに慣れていないので、水分補給はこまめに」! お天気ニュースのキャスターが言ってたよ。
絵文字ありがとうございます🙏
八重咲だし、綺麗な花びらを抱えてる分、頭が重くて雨風に弱いんだね…。つらくなって、玄関の中にプランターを引きずり込んで避難させた。一応支柱も立てて固定してみたけど、回復するかわからない。かなしいよ! こんなことなら、朝のうちに入れとけばよかったな。
雷よりも、強い雨が結構怖いかも。今日みたいに強い風に煽られてくる雨は特に。窓から眺める街は白く霞んで、よく見るとカーテンみたいに雨粒と風の軌道が見える。それが強弱をつけてガラスに吹き付けると、思ってたよりでっかい雨音がして怖い。「横殴りの雨」って、雨が殴ってるんじゃなくて風が殴ってきてるんだよな。たぶん。
いつもの時間に散歩に行けなかったから、犬を膝に抱えて春の嵐を見ていて、そのうち犬があったかくて寝てしまった。しばらくして外に出たら、雨はすっかり止んでいた。濡れた地面から夏の匂いがする気がして、テディを見る。毛皮に覆われた生き物には厳しい季節がやってくる。毛皮がなくてももう十分、手厳しい季節だけど。
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季節の変わり目、合言葉は「体が暑さに慣れていないので、水分補給はこまめに」! お天気ニュースのキャスターが言ってたよ。
絵文字ありがとうございます🙏
図書館で本を借りたら、偶然にもその本を読む朗読会が週末ある、というチラシが目に止まった。読まれる予定の作品は全部知らない本だけど、予定もとくにない。参加無料みたいだし行ってみるか。って感じで行ってきた。すごくよかったです!
本来は耳で聞くよりも目で読みたい派…。オーディブルとかも、集中しなきゃいけなさそうでだるいな、と嫌厭してたけど…。そもそも朗読って、読書とはまるで違う体験なんだなあ、と思った。
少し暗くなった小さな部屋。挨拶する人から伝わるちょっとした緊張感。紙をめくる音。それから目の前から響いてくる、落ち着いた声。どんな物語なのか知らずに出会う本の温度感。目を閉じて、自分の頭の中だけで見る物語。終わったあと心地よい気持ちになった。3作品を20分ずつ朗読してもらって、1時間があっという間だった。
そのうちの1作品、手元に本があったからわかったことだけど、聞き取りやすいようにいろんな工夫をしてくれているようだった。音だけで判断しづらい単語は、なくても成立しそうなものだけ省いたり、てにをはを調整したり、時間内にまとまるようにかいつまんで読んでくれてる部分もあったり。この本は分厚すぎてなかなか手をつけられてなくて、(借りる前はこんなに分厚いって知らなくて…もごもご)朗読会が終わったら読み始めようと思ってたので、「続きが気になる方はぜひ図書館で借りてください」という言葉に背中を押されたような気持ちになった。よし、読もう…!
会が終わったあと、朗読してくれた人たちとちょっとしたコミュニケーションを取れるのもいい。読まれた中で、すごく好き!と思った本があって…と話しかけてみたら、脚本家さんが書いた小説なのよって教えてもらった。そっかあ。やっぱりそうなのか。私はやっぱり、映像的な小説の方が好きなんだな。脚本のト書きでも確かに、耳に心地よいテンポで、というのは意識されることで、でも小説を書く時ってあんまりそこは考えてなかった。三人称って説明入れやすいし、余計なこと書きすぎちゃってるのか、という気づきを体験として理解した。
小説のテンポっていわれてもあんまりわかんないけど、音で聴いて心地いいテンポならわかりやすい。というわけで参考にすべく、その人の本をそのまま借りてきた。今思うとなぜ最初に思い付かなかったのかって感じだけど…。でも偶然が重なって、その先で探してたものかもしれない新しいことを見つけられた気がして、すごくうれしかった。帰り道、桜吹雪の中をるんるんで歩いた。
次回は1ヶ月後。どれも知らない本だけど、多分面白いと思う。また参加したい。できたら勇気出して、朗読のコツとか、ちょっとだけ聞いてみようかな。
▲CLOSE
絵文字ありがとうございます🙏
春は、なんか新しいこと、やってみたくなるよね。
本来は耳で聞くよりも目で読みたい派…。オーディブルとかも、集中しなきゃいけなさそうでだるいな、と嫌厭してたけど…。そもそも朗読って、読書とはまるで違う体験なんだなあ、と思った。
少し暗くなった小さな部屋。挨拶する人から伝わるちょっとした緊張感。紙をめくる音。それから目の前から響いてくる、落ち着いた声。どんな物語なのか知らずに出会う本の温度感。目を閉じて、自分の頭の中だけで見る物語。終わったあと心地よい気持ちになった。3作品を20分ずつ朗読してもらって、1時間があっという間だった。
そのうちの1作品、手元に本があったからわかったことだけど、聞き取りやすいようにいろんな工夫をしてくれているようだった。音だけで判断しづらい単語は、なくても成立しそうなものだけ省いたり、てにをはを調整したり、時間内にまとまるようにかいつまんで読んでくれてる部分もあったり。この本は分厚すぎてなかなか手をつけられてなくて、(借りる前はこんなに分厚いって知らなくて…もごもご)朗読会が終わったら読み始めようと思ってたので、「続きが気になる方はぜひ図書館で借りてください」という言葉に背中を押されたような気持ちになった。よし、読もう…!
会が終わったあと、朗読してくれた人たちとちょっとしたコミュニケーションを取れるのもいい。読まれた中で、すごく好き!と思った本があって…と話しかけてみたら、脚本家さんが書いた小説なのよって教えてもらった。そっかあ。やっぱりそうなのか。私はやっぱり、映像的な小説の方が好きなんだな。脚本のト書きでも確かに、耳に心地よいテンポで、というのは意識されることで、でも小説を書く時ってあんまりそこは考えてなかった。三人称って説明入れやすいし、余計なこと書きすぎちゃってるのか、という気づきを体験として理解した。
小説のテンポっていわれてもあんまりわかんないけど、音で聴いて心地いいテンポならわかりやすい。というわけで参考にすべく、その人の本をそのまま借りてきた。今思うとなぜ最初に思い付かなかったのかって感じだけど…。でも偶然が重なって、その先で探してたものかもしれない新しいことを見つけられた気がして、すごくうれしかった。帰り道、桜吹雪の中をるんるんで歩いた。
次回は1ヶ月後。どれも知らない本だけど、多分面白いと思う。また参加したい。できたら勇気出して、朗読のコツとか、ちょっとだけ聞いてみようかな。
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絵文字ありがとうございます🙏
春は、なんか新しいこと、やってみたくなるよね。
最近ますます言葉が難しい。自分がそうありたいって思ってるだけのことなのに、相手にもそうあるべきだって押し付けるような言い方になってしまったり、自分が思い込んでいることが相手にとっては全然見当違いのことだったりする。自分が信じたいことを、強く思うときこそ気をつけないとなあ。反省しなくちゃ。
昨日は屋外で過ごすには寒すぎて、室内で過ごすには暑すぎた。なんだかそれだけのことが、すごく疲れちゃった。3連休の最終日、無理して外に出たのに、あんまりよくなかったなあ。体力が弱っていると、考える力も少なくなって、言葉も雑になってしまう。頭も心も体の一部だもんね。季節の変わり目、すべてが難しい。無理せず、できる範囲で素直に過ごそう…。▲CLOSE
昨日は屋外で過ごすには寒すぎて、室内で過ごすには暑すぎた。なんだかそれだけのことが、すごく疲れちゃった。3連休の最終日、無理して外に出たのに、あんまりよくなかったなあ。体力が弱っていると、考える力も少なくなって、言葉も雑になってしまう。頭も心も体の一部だもんね。季節の変わり目、すべてが難しい。無理せず、できる範囲で素直に過ごそう…。▲CLOSE
桜の開花宣言を受けて、近くの公園でも咲いているのかどうか見に行ってみた。まだまだつぼみだったけど、5輪咲いていることは確認できたので、僭越ながら私から、ご近所エリアの桜の開花を宣言します。✌️。
気象庁が発表する桜の開花宣言には、作法みたいなのがあるのでしょうか。ニュースを見ていたら、スーツ姿の職員さんが指差し確認しながらお花の数を数え、丁寧に手元のクリップボードになにやら書き込んで、それからTVカメラに向き合い、居住まいを正し、息を整えて、ゆっくりと口を開き、「開花を宣言します」と言っていた。ちょっとドキドキするような緊張感の中に、おお、っと周囲の人のどよめきが聞こえてくる。標本木の周りの柵を覆うように見守っていた大勢の人たちが、みんな笑顔になり、拍手が送られる。それを見てなんだかこっちまで笑顔になるし、咲いたのか〜って嬉しくなったりする。お花が咲いたことがこんなふうに政府機関から発表され、こんなふうに喜ぶ姿がニュースで報道される国、ほかにもあるのかなあ。
アメリカの春の風物詩はグラウンドホッグっていうジリスで、冬眠から目覚めた彼らの様子で、本格的な春の到来までどれくらいなのかを占うらしい。ジリスをカゴから取り出して、天に掲げてる燕尾服姿のおじいちゃんたちの様子をテレビで見た。あのときはおもしろくて笑ったけど、桜の開花宣言も似たようなものかも。
みんなで拍手して、春の到来を喜ぶ。儀式めいた形式の仰々しさが、和やかな空気の中に存在していて、そのちぐはぐさが面白い。でもその仰々しさは真面目さでもある。真摯に向き合って、大切にすること。桜の開花がこんなにも大切にされていること自体が、私は嬉しいのかもしれない。だからまだまだ満開の時期には早いとわかっていても、るんるんしながら早速桜の木を見に行ってしまったのかもしれない。満開になるのが楽しみだ。
余談だけど、『恋はデジャ・ブ』(1993)の原題が『Groundhog Day』なんですね。名作って言われてるし見たいと思いつつ見れてない1本ですが…グラウンドホッグに占わせる日をずっとループするのかな…もうおもしろいじゃん…。▲CLOSE
気象庁が発表する桜の開花宣言には、作法みたいなのがあるのでしょうか。ニュースを見ていたら、スーツ姿の職員さんが指差し確認しながらお花の数を数え、丁寧に手元のクリップボードになにやら書き込んで、それからTVカメラに向き合い、居住まいを正し、息を整えて、ゆっくりと口を開き、「開花を宣言します」と言っていた。ちょっとドキドキするような緊張感の中に、おお、っと周囲の人のどよめきが聞こえてくる。標本木の周りの柵を覆うように見守っていた大勢の人たちが、みんな笑顔になり、拍手が送られる。それを見てなんだかこっちまで笑顔になるし、咲いたのか〜って嬉しくなったりする。お花が咲いたことがこんなふうに政府機関から発表され、こんなふうに喜ぶ姿がニュースで報道される国、ほかにもあるのかなあ。
アメリカの春の風物詩はグラウンドホッグっていうジリスで、冬眠から目覚めた彼らの様子で、本格的な春の到来までどれくらいなのかを占うらしい。ジリスをカゴから取り出して、天に掲げてる燕尾服姿のおじいちゃんたちの様子をテレビで見た。あのときはおもしろくて笑ったけど、桜の開花宣言も似たようなものかも。
みんなで拍手して、春の到来を喜ぶ。儀式めいた形式の仰々しさが、和やかな空気の中に存在していて、そのちぐはぐさが面白い。でもその仰々しさは真面目さでもある。真摯に向き合って、大切にすること。桜の開花がこんなにも大切にされていること自体が、私は嬉しいのかもしれない。だからまだまだ満開の時期には早いとわかっていても、るんるんしながら早速桜の木を見に行ってしまったのかもしれない。満開になるのが楽しみだ。
余談だけど、『恋はデジャ・ブ』(1993)の原題が『Groundhog Day』なんですね。名作って言われてるし見たいと思いつつ見れてない1本ですが…グラウンドホッグに占わせる日をずっとループするのかな…もうおもしろいじゃん…。▲CLOSE
2月末は我が家の犬のお誕生日だった。プレゼントに買ってあげたベッドがやっと届いて、さっそく使ってみてほしいけど、ぎちぎちに圧縮されたクッションがまだ膨らみきってない。最大72時間置かないといけないらしいが、待てなくて24時間でもうベッドに詰めた。見てみてテディ。どうおもう? ふかふかだよ。これは車の座席にもつけられる。病院に行くのも超快適だよ。テディは眠そうに私をみて、そのままこたつの中に入っていった。
テディは16年目の犬生に突入した。まごうことなきおじいわんだ。日中は眠ってることが多いし、目もあんまり見えてないのかちょこちょこぶつかってくるし、毛も赤ちゃんの頃に比べたらずっと薄くなった。でも、大きな病気もしてないし、毎日散歩に行くし、抱っこしようとすると走って逃げるくらい元気。だから普段は年齢のことは忘れている。ただ、ふとしたときに思う。ねむってるとき、ちゃんと息してるかどうか、お腹を見つめてしまうときがある。
少し前に、散歩の途中で買い物に行った家族を、スーパーの入り口でテディと二人で待っているとき、通りすがりのおばあちゃんがテディに声をかけてくれた。なんさいなの?と優しく聞いてくれたので、16歳になりました、と答えたら、あら長生きねえ!と目を大きくして教えてくれた。「うちも飼ってたの。フレンチブル。かわいかった。でも、9歳のとき、スッといっちゃった。」
スッと、という部分がふわ〜っとゆっくり頭の中に降りてきた。たまにお散歩中に声をかけてくれる犬連れではない犬好きの人たちは、たいてい、別れを経験している先輩だ。何度も聞くこのセリフに、なんて返したらいいのかいまだにわからない。胸がじんわり苦しくなる。ずっと一緒にいられるわけじゃないってわかってるけど、それが来ないといいなあっておもう。おもうしかない。おばあちゃんと別れた後は、そればっかり思い続けながらぼうっとしていた。テディは終始無言のまま、じっと店舗の出入り口を監視し続けていた。いつもどおりで、それがかわいくて、ちょっと触ったら振り払われた。それもいつもどおり。かわいい。
サイズに余裕を見て選んだはずのベッドは、テディが寝っ転がるとみちみちで、ある意味ジャストフィットだった。ここまでクッションがみちみちだと通気性の面が心配だけど、背中とお尻をしっかり支えてくれるから寝心地は今のところいいみたい。眠かったのか、クッションの間に思ったよりおとなしく収まってくれた。
ゆっくり上下するテディのお腹を、眺めながら思う。ずっと一緒にいられたらいいのに。人間と犬は、呼吸するスピードさえも違う。だからいつも見てる。見ていれば、テディのかわいさも、テディの気持ちも、テディの変化もわかる。一緒にいられる間は、ずっと見てるつもりだ。そして長生きしてくれ〜って願い続ける。でもたぶん、これはテディには伝わってないと思う。それでも大丈夫。犬はいるだけで良いんだから。▲CLOSE
テディは16年目の犬生に突入した。まごうことなきおじいわんだ。日中は眠ってることが多いし、目もあんまり見えてないのかちょこちょこぶつかってくるし、毛も赤ちゃんの頃に比べたらずっと薄くなった。でも、大きな病気もしてないし、毎日散歩に行くし、抱っこしようとすると走って逃げるくらい元気。だから普段は年齢のことは忘れている。ただ、ふとしたときに思う。ねむってるとき、ちゃんと息してるかどうか、お腹を見つめてしまうときがある。
少し前に、散歩の途中で買い物に行った家族を、スーパーの入り口でテディと二人で待っているとき、通りすがりのおばあちゃんがテディに声をかけてくれた。なんさいなの?と優しく聞いてくれたので、16歳になりました、と答えたら、あら長生きねえ!と目を大きくして教えてくれた。「うちも飼ってたの。フレンチブル。かわいかった。でも、9歳のとき、スッといっちゃった。」
スッと、という部分がふわ〜っとゆっくり頭の中に降りてきた。たまにお散歩中に声をかけてくれる犬連れではない犬好きの人たちは、たいてい、別れを経験している先輩だ。何度も聞くこのセリフに、なんて返したらいいのかいまだにわからない。胸がじんわり苦しくなる。ずっと一緒にいられるわけじゃないってわかってるけど、それが来ないといいなあっておもう。おもうしかない。おばあちゃんと別れた後は、そればっかり思い続けながらぼうっとしていた。テディは終始無言のまま、じっと店舗の出入り口を監視し続けていた。いつもどおりで、それがかわいくて、ちょっと触ったら振り払われた。それもいつもどおり。かわいい。
サイズに余裕を見て選んだはずのベッドは、テディが寝っ転がるとみちみちで、ある意味ジャストフィットだった。ここまでクッションがみちみちだと通気性の面が心配だけど、背中とお尻をしっかり支えてくれるから寝心地は今のところいいみたい。眠かったのか、クッションの間に思ったよりおとなしく収まってくれた。
ゆっくり上下するテディのお腹を、眺めながら思う。ずっと一緒にいられたらいいのに。人間と犬は、呼吸するスピードさえも違う。だからいつも見てる。見ていれば、テディのかわいさも、テディの気持ちも、テディの変化もわかる。一緒にいられる間は、ずっと見てるつもりだ。そして長生きしてくれ〜って願い続ける。でもたぶん、これはテディには伝わってないと思う。それでも大丈夫。犬はいるだけで良いんだから。▲CLOSE
鯉壱のお祝いもできてなかった。お祝いしてくれたフレンドさんたちありがとうございます🙇♀️ 擬じゃないけど、誘われた合同誌の原稿をやっていました。でもビリだったし締め切りも破った。本当に申し訳ない…。
締め切りを守れ、というのは大人として当たり前のルールだけど、守るためにはやはりそれなりの創意工夫と訓練が必要だ…。スケジュール調整、先延ばし癖との戦い、こだわりやプライドを捨てる決断力…。自分の状態や予期せぬトラブルがあったりするし、守れなくても仕方なくないですか?!って喚きたくなる自分もいる。でもさ、毎日少しずつやってたらできてたよね? はい。その通りだと思います…。
毎日少しずつ、ってやつが苦手だ。(ここの日記、苦手なことばっかりじゃない?)できるようになるべきだと思うし、なりたいと思うし、毎日やるぞ!とも思う。でもできてない。追い込まれて必死にやってるばっかりだ。
この日記も、実は文章力向上と、日々の記録と、「毎日少しずつ」の訓練、という3つの使命を帯びているはずなんだけど…。ご覧の通り…。
継続は難しい。でもできないものをできるようにするには、練習あるのみ。ということは、いまできるレベルを探してやり続けるっていうことだ。ごちゃごちゃ言ってないでとにかくやれっていうこと。諦めるな。
ともかくみなさん、その合同誌の頒布が遅れるのはわたしのせいです。本当に申し訳ございません…。でも可愛く描けた! 喉元過ぎればなんとやら、というやつかもしれないけど、無事に提出できたことはよかった。待ってもらってありがとうございました。本になるの、楽しみ…▲CLOSE
締め切りを守れ、というのは大人として当たり前のルールだけど、守るためにはやはりそれなりの創意工夫と訓練が必要だ…。スケジュール調整、先延ばし癖との戦い、こだわりやプライドを捨てる決断力…。自分の状態や予期せぬトラブルがあったりするし、守れなくても仕方なくないですか?!って喚きたくなる自分もいる。でもさ、毎日少しずつやってたらできてたよね? はい。その通りだと思います…。
毎日少しずつ、ってやつが苦手だ。(ここの日記、苦手なことばっかりじゃない?)できるようになるべきだと思うし、なりたいと思うし、毎日やるぞ!とも思う。でもできてない。追い込まれて必死にやってるばっかりだ。
この日記も、実は文章力向上と、日々の記録と、「毎日少しずつ」の訓練、という3つの使命を帯びているはずなんだけど…。ご覧の通り…。
継続は難しい。でもできないものをできるようにするには、練習あるのみ。ということは、いまできるレベルを探してやり続けるっていうことだ。ごちゃごちゃ言ってないでとにかくやれっていうこと。諦めるな。
ともかくみなさん、その合同誌の頒布が遅れるのはわたしのせいです。本当に申し訳ございません…。でも可愛く描けた! 喉元過ぎればなんとやら、というやつかもしれないけど、無事に提出できたことはよかった。待ってもらってありがとうございました。本になるの、楽しみ…▲CLOSE
春だし、あったかくなってきたからリングフィット再開した。
起動したらちょうどボス戦で、スクワットさせられまくって足がめちゃくちゃになっちゃったよ。
筋肉痛がひどい。はしゃいでやって、オーバーワークになってしまった気がする…。だって一回始めたら途中でやめられないんだもん!フッキンリーもめちゃくちゃ煽ってくるしさあ! でも夜のお散歩は背筋を伸ばして歩くのが少し楽だったような気もする。運動って…大事だなあ…。
RFAは同年代の人たちの運動プロフィールを見ることができる。総プレイ時間とかレベル、何分前に運動してたか…。発売から随分経ったし、みんな遥かに高みにいるのかな…と思いきや、最近始めたての人も結構いた。
そうだよね、がんばりは人それぞれだよね。特に運動は体を使うから、自分のペースでしかできないもんね…。そう思えたらちょっと気持ちが楽になった。積み重ねも大事だけど、まずは一回一回をきちんと筋肉に効かせていきたいね。
下書きに入っていた映画のこととかをしれっと増やしました。(ここは己の記録も兼ねていて、後から増える投稿も多いけど、気にしないでほしい…。)
絵文字ありがとう〜🖐️ みんなも元気でね。▲CLOSE
起動したらちょうどボス戦で、スクワットさせられまくって足がめちゃくちゃになっちゃったよ。
筋肉痛がひどい。はしゃいでやって、オーバーワークになってしまった気がする…。だって一回始めたら途中でやめられないんだもん!フッキンリーもめちゃくちゃ煽ってくるしさあ! でも夜のお散歩は背筋を伸ばして歩くのが少し楽だったような気もする。運動って…大事だなあ…。
RFAは同年代の人たちの運動プロフィールを見ることができる。総プレイ時間とかレベル、何分前に運動してたか…。発売から随分経ったし、みんな遥かに高みにいるのかな…と思いきや、最近始めたての人も結構いた。
そうだよね、がんばりは人それぞれだよね。特に運動は体を使うから、自分のペースでしかできないもんね…。そう思えたらちょっと気持ちが楽になった。積み重ねも大事だけど、まずは一回一回をきちんと筋肉に効かせていきたいね。
下書きに入っていた映画のこととかをしれっと増やしました。(ここは己の記録も兼ねていて、後から増える投稿も多いけど、気にしないでほしい…。)
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友達はなぜ私と仲良くしてくれるのかなと我に返るとき、お互い、たまたまそこに居合わせた中で選んだということの、ただその小さなことの積み重ねのような気がする。
いつのまにかいろんな人と近づくのが怖くなって、居合わせるという機会も減らし続けてしまった。でもまた我を忘れて近づいて、しまったと思って引っ込んだりすることの繰り返しなんだろうな。何かしてあげなきゃとか、役に立たなきゃとか、気負うとよくない。たまたまそばにいることでお互いちょっと楽になるくらいが、ちょうどいい距離感なんだろうな。
居合わせることは小さなことだけど、し続けようと思うと案外むずかしい。でも自分が楽しんでいるときや、不安がっているとき、私は一緒の気持ちになっている人を見つけてきたんじゃなかったかな。一緒にやろうと声をかけたり、かけてもらったりしてきたから、いっしょに過ごした時間がある。短くても長くても、たとえ一回きりでも、はじまりの瞬間は小さく、でも確かにあった。それはすごく素敵なことだな。
いつのまにかいろんな人と近づくのが怖くなって、居合わせるという機会も減らし続けてしまった。でもまた我を忘れて近づいて、しまったと思って引っ込んだりすることの繰り返しなんだろうな。何かしてあげなきゃとか、役に立たなきゃとか、気負うとよくない。たまたまそばにいることでお互いちょっと楽になるくらいが、ちょうどいい距離感なんだろうな。
居合わせることは小さなことだけど、し続けようと思うと案外むずかしい。でも自分が楽しんでいるときや、不安がっているとき、私は一緒の気持ちになっている人を見つけてきたんじゃなかったかな。一緒にやろうと声をかけたり、かけてもらったりしてきたから、いっしょに過ごした時間がある。短くても長くても、たとえ一回きりでも、はじまりの瞬間は小さく、でも確かにあった。それはすごく素敵なことだな。
セットダンスはワルツみたいにペアと踊るダンスなので、音楽に身を任せればある程度はペアにリードしてもらえる。しかし相手に頼り切っていると、ペアの人もコールを覚えてなかったりしてあたふたする。それ込みでアイリッシュセットは面白いんだよね…。そもそも各地域でいろんな固有の踊り方があったりとか、新しく増えたりして、ざっと数えても300種類ぐらいあるらしい。日本でいうところの夏祭りの盆踊りみたいな感じかな。もともとこの練習会もケーリー(ダンスパーティー)で踊るセットダンスの予習練習なので…みんな踊れないんだ。ケーリーは予習が大事!!
そしてこの「完璧じゃない2人が、踊れなくても踊る」ために、お互い身体性コミュニケーションをとっていく必要があり、これがめちゃくちゃ面白い。
ステップの距離感とか、手を握る時や手を背中に添える時の力の入れ具合とか、相手が次の動きをわかってなさそうだったら音楽よりちょっと先に動き出すとか…。気遣いあいながら、動きながらペアと感覚を合わせていく感じ。ケーリーならではで楽しい。踊りやすいと、相手が踊りやすくしてくれてるなあ〜っておもう。そしてせっかく息があっても、ダンスの途中でペアが変わったりする。さよなら〜。
その状況やルールを受け入れて言葉よりも速いレベルで相手に寄り添う、言語ではない形で相手を気遣いあう、そういう空間が成立すると、ある種の楽しさになっていくんだろうな…。
お話のこととか文字を追うばっかりの生活してると見失いがちだけど、こういう、純粋に楽しさだけでやることとか、言葉に頼らないコミュニケーションの良さとか、改めて確認するのもいいね。ケーリーに向けて頑張るぞ〜。▲CLOSE