6月からは、脚本を書く時間が増える予定。いままでやってた合評会(読む練習)と、執筆会(短時間で書き切る練習)に加えて、書くための時間やリズムを作る練習のために、新たなコミュニティに参加する。大丈夫かなあの不安が8割、嫌だけど頑張るか…の気持ちが2割。
そういう未来への不安もあって、さいきん、創作に向き合おうとすると、1回他のこともやろうよ、とでもいうみたいに体が運動したがるようになった。今まで運動なんて好きじゃなかったのに。ダンスの他にも、最近は2週に1回くらいは山に登っている。
むかし山登りで気持ち悪くなった経験もあって、登山は全く好きじゃなかった。でも改めてやってみると、自分は登る体力がないわけじゃなくて、ただ標高差が苦手な部類みたい。登り始めさえゆっくり動けば、体が慣れて、そんなにしんどくないってことがわかってきた。頂上付近が一番元気まである。一番しんどいのは、下りの中盤。疲れて、お腹も空いているのに、登りよりも注意力が必要。雑に足を下ろすと、怪我しそうになる。だからとっておきのおやつをここで食べて、やる気を補充する。
学生時代、登山部の子に「なんで山なんか登るの?」と聞いたことがある。彼女は「山があるから」みたいなことを言っていて、わけわかんねーなと思った。山登りは苦しくてしんどい、と彼女はいう。楽しいから登るわけじゃない。
楽しくないのになんでやるの?とあの時の自分は思った。今の自分が、なんでだろう、と答える。無理やり探すなら、「できなかったことができた」という実感を得るのが嬉しいからだと思う。言葉にするとふつうのことだ。でも、たぶん達成感とは少し違う。これは、ああ、わたし、できるんだ、っていう安堵だ。できたんだ、っていう、あったかくてじんわりするような喜び。普通じゃない。今までの自分と少しだけ違う自分になれたことが、こんなふうに嬉しい。疲れ果てた体に満ちる、あの気持ちを味わうために、山に登る。
私は登山が嫌いだった。登り方がわからなくて、みんなのペースに合わせなきゃと思って必死に登って、具合が悪くなって、迷惑かけたくなくて言い出せなくて、結局気づかれて、優しくされて、惨めになって、みんなは平気そうなのに、できない自分が恥ずかしくて、嫌になって、悲しかったから。
登り方がわかって、自分のペースで登ればいいとか、おやつはここで食べたらいいとか、自分で自分の苦しみを対処できるようになると、「登山は嫌い」と思う気持ちはずいぶん減った。「夏になる前の涼しい頃の初心者用の山に、自分のペースでなら登れる」になった。
創作の、「書けない」「嫌だ」っていうきもちも変えたい。不安のあまり、ついつい、書けないならやめろとか、そんなのやってるのは無駄とか、思ってしまいそうになるけど、今の自分の中にちゃんとあるできる部分を引っ張ってきたい。「誰かと一緒に集中すれば、10分シナリオは書ける」とか、「読みながら作者の意図を想像できる」とか。
できないわけじゃなくて、「条件付きで」ならできる。だから、ちょっとずつ登って、苦しくなったら降りよう。また登りだすときに、こうしたらいいかもって少しずつ対処して、そうしながら自分のペースで頂上をめざそう。
8月は、二度と登らないと泣きながら思った富士山にもう一度登ることになった。大丈夫かなあの不安が8割、嫌だけど頑張るか…の気持ちが2割…。でも、できたら嬉しいな、の気持ちがあるから、登山も創作も、のんびりやる。
▲CLOSE
いない間に絵文字ありがとうございました!
山登りで見かけた子供たちの話も、あとで書いておきたいな〜。
そういう未来への不安もあって、さいきん、創作に向き合おうとすると、1回他のこともやろうよ、とでもいうみたいに体が運動したがるようになった。今まで運動なんて好きじゃなかったのに。ダンスの他にも、最近は2週に1回くらいは山に登っている。
むかし山登りで気持ち悪くなった経験もあって、登山は全く好きじゃなかった。でも改めてやってみると、自分は登る体力がないわけじゃなくて、ただ標高差が苦手な部類みたい。登り始めさえゆっくり動けば、体が慣れて、そんなにしんどくないってことがわかってきた。頂上付近が一番元気まである。一番しんどいのは、下りの中盤。疲れて、お腹も空いているのに、登りよりも注意力が必要。雑に足を下ろすと、怪我しそうになる。だからとっておきのおやつをここで食べて、やる気を補充する。
学生時代、登山部の子に「なんで山なんか登るの?」と聞いたことがある。彼女は「山があるから」みたいなことを言っていて、わけわかんねーなと思った。山登りは苦しくてしんどい、と彼女はいう。楽しいから登るわけじゃない。
楽しくないのになんでやるの?とあの時の自分は思った。今の自分が、なんでだろう、と答える。無理やり探すなら、「できなかったことができた」という実感を得るのが嬉しいからだと思う。言葉にするとふつうのことだ。でも、たぶん達成感とは少し違う。これは、ああ、わたし、できるんだ、っていう安堵だ。できたんだ、っていう、あったかくてじんわりするような喜び。普通じゃない。今までの自分と少しだけ違う自分になれたことが、こんなふうに嬉しい。疲れ果てた体に満ちる、あの気持ちを味わうために、山に登る。
私は登山が嫌いだった。登り方がわからなくて、みんなのペースに合わせなきゃと思って必死に登って、具合が悪くなって、迷惑かけたくなくて言い出せなくて、結局気づかれて、優しくされて、惨めになって、みんなは平気そうなのに、できない自分が恥ずかしくて、嫌になって、悲しかったから。
登り方がわかって、自分のペースで登ればいいとか、おやつはここで食べたらいいとか、自分で自分の苦しみを対処できるようになると、「登山は嫌い」と思う気持ちはずいぶん減った。「夏になる前の涼しい頃の初心者用の山に、自分のペースでなら登れる」になった。
創作の、「書けない」「嫌だ」っていうきもちも変えたい。不安のあまり、ついつい、書けないならやめろとか、そんなのやってるのは無駄とか、思ってしまいそうになるけど、今の自分の中にちゃんとあるできる部分を引っ張ってきたい。「誰かと一緒に集中すれば、10分シナリオは書ける」とか、「読みながら作者の意図を想像できる」とか。
できないわけじゃなくて、「条件付きで」ならできる。だから、ちょっとずつ登って、苦しくなったら降りよう。また登りだすときに、こうしたらいいかもって少しずつ対処して、そうしながら自分のペースで頂上をめざそう。
8月は、二度と登らないと泣きながら思った富士山にもう一度登ることになった。大丈夫かなあの不安が8割、嫌だけど頑張るか…の気持ちが2割…。でも、できたら嬉しいな、の気持ちがあるから、登山も創作も、のんびりやる。
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いない間に絵文字ありがとうございました!
山登りで見かけた子供たちの話も、あとで書いておきたいな〜。
筑波山に登ったよ⛰️
筑波山は、私が体力ゼロで初めて富士山に挑むことになった時、練習で登らされた最初の山…! あのときはわけもわからず登り始め、チームについていくのに必死で、自分のペースで歩くことも優先できなくて、展望台に着くなり吐いたという苦い記憶があります。
改めて富士山にリベンジすることになったので、定石通り、練習しに行きました。でも今回はのんびりペースを守って登って、無事に山頂まで元気に行けたよ✌️
(この記事は、407のあとに書かれて、しれっと追加されました)
人が多い!
さすが有名な筑波山。上からも下からも人が途切れることのない賑やかな登山道。行楽シーズンだったこともあってか、お子さん連れの家族がとても多かったです。ちいさなリュックを自ら背負っている子もいてすごかった。
通り過ぎるたびにきちんと挨拶してくれて、そのたびにこちらもちょっと元気が出る。もちろん家族連れに限らず、ベテランぽい人から、ゲームキャラのぬいぐるみをリュックにぶら下げてるお兄さんたちまで、いろんな人が挨拶してくれる。こんにちは、おつかれさま、がんばって。山の人たちはやさしい。しんどいのを知っているからね。
ゆっくり行こう
少し蒸し暑かったし、緊張もしていたけど、登り始めの胸のドキドキは、ゆっくり足を動かしているうちになくなった。ああ、これを無視して登ったなあ。昔の記憶が蘇って、ちょっと指先が冷えるような感覚になってくる。あのとき私は、怖さとか、緊張とか、動悸や息切れも、全部振り切ろうとしたんだよなあ。
実は私が筑波山に初めて登ったのは、新卒で入った会社の新入社員研修の一環だった。参加は任意だったけど、会社から弱いやつと思われたくなくて、人事の人をがっかりさせたくなくて、私は恐怖から「参加します」と返事した。そして登っている間も、同期から置いていかれたくなくて、みんなについて行きたくて、怖くて怖くて必死に登った。
今はちがう。そんなに無理しなくたってよかったんだよな、って思える。山は無理して登るものじゃない。誰かと競争することでもない。そういうふうに教えてくれる人が昔の私にいたらよかったけど、でもいても当時の私は聞かなかったかもしれないな。今は自分が自分に言ってあげられる。自分も聞く耳を持てる。その点は、あの日から成長したと言えると思う。
今回の同行者2人は私と同じく登山初心者だった。でも、ゆっくり歩く私より全然余裕そう。今の私なら、どんどん登っていこうとする2人にあえて強く言える。「最初はゆっくりすぎるくらいがちょうどいいの!」
877mを侮るな
筑波山は百名山の中で一番低い山だけど、私たちが選んだ御幸ヶ原コースには大きな石もごろごろあって、なかなかワイルドな山道。同行者たちはあっという間に疲弊して、「こんなんだと思ってなかった」と、水をガブガブ飲み、「あとどれくらい?」「半分くらいは来た?」と口々に呟く。私は記憶が曖昧なまま地図を見る。こんなだったっけ、こんなだったかも? もう覚えてないよ。最後にたくさん階段があった気がする。すごい長い階段を上り切って、景色が開けるんだよ。
その記憶だけは正しい自信があった。階段の一歩一歩をすがるような気持ちで登って、最後の一段を上がって広い空を見た時に、緊張が緩んで吐いたのだから…。
ところで筑波山は、ロープウェイでも登れる。頂上付近の駅のまわりにはご飯を食べられる場所もある。やっとの思いで辿り着いて、景色を拝もうと顔を上げたら、ものすごい人の数で若干引いた。登る体力に自信がない人はロープウェイを使っている。それも一つの選択。あと犬もいた。ロープウェイで来たのだろう。疲れている時に見る犬、めちゃかわいくてうれしい。
無事に辿り着けたことを喜んで、3人でうどんを食べた。最悪の気分だった前回と違って、今回はおいしいものも食べられる。その余裕が嬉しかった。嫌な記憶を塗り替えた。自分の力で…。そう思うとほっとして力が抜ける。しかし、実のところ、筑波山の山頂はもう少し上にある。
怪我人と見学者
お腹を満たして、さあもうひと頑張り、となったところで、同行者が小さな段差に躓いて転んでしまった。膝を擦りむいて血が滲んでいる。長ズボンを履いていたけど、地面がコンクリートだったので削れてしまったらしい。岩場で倒れなくてよかったよ…と慰めながら、ティッシュで押さえて、絆創膏を貼った。怪我人は、転んで膝を擦りむくなんて子供のとき以来らしく、ショックを受けて動揺していた。その姿が、その昔、吐いて優しくされて余計惨めな気持ちになった自分と重なる。かわいそうに…。
手当てが済み、立ちあがろうとした時、隣に小さな女の子が立っているのに気がついた。小屋の脇の、すこしひらけた場所だったので、他の子と近くで遊んでいたのだろう。そこに大人が喚いて転がったのを目撃し、何事だろうと近くまで見に来たらしい。何にも言わず、固唾を飲んで、転んだ大人の膝を凝視していた。その目のあまりのまんまるさに、深刻なムードも忘れてちょっと吹き出しそうになる。
そのひと、どうしたの?大丈夫?と思ったけど、大人相手には咄嗟に言えなかったのかもしれない。それか、言おうとしたけど、大人が転んで痛がり、血を流す姿を見てショックだったのかもしれない。とにかくその子は怪我人が気になって気になって、吸い寄せられてきちゃったのだ。
「見ちゃダメ!」と声がして、姉らしき子が走ってくる。そして妹の手を乱暴に掴んで、引っ張った。引っ張られた子がよろける。しかしそのつぶらな瞳は、いまだ膝の絆創膏に釘付けだ。なぜかこちらが慌ててしまって、説明のように呟いた。「心配してくれたんだよね、ありがとう、もう大丈夫だよ。ちゃんと手当したからね。じゃあ、立てる?」そう言って、まだ座ったままの怪我人をすがるような気持ちで見る。子供たちもおそらく彼女を見た。「ううん」と、まだ動揺している彼女はそう言った。「まだ手が痛いから無理」。そのあとも、しばらく3人で怪我人を見守った。
がんばったご褒美!
筑波山の山頂は二つある。男体山と女体山、それぞれの山頂だ。怪我人が発生したので、あともう少しだけ頑張って、近い方の女体山に登り、帰りはロープウェイで下ることにした。初回にしては十分頑張った。本番は富士山で、今回はその練習だから、別に完璧な軍行でなくたっていい。
女体山の山頂には、神社がある。その裏手に岩が迫り出していて、そこに山頂の看板も立っている。岩の上に立ってみると、景色が最高だった。太陽に照らされ、鏡のように光を反射する水田が一面に広がっていた。
前にも見たことがある、と思った。当時の私は吐きながら、それでもみんなに置いていかれまいと、山頂まで這い上がったのだろう。忘れてた。ロープウェイの駅までだと思ってた。でも、今回の方が、前来たときよりずっと綺麗だ、と思った。
楽しく登れたのは、仲間たちのおかげだ。そしてあのときのリベンジをするか、と決意した過去の私のおかげ。来てよかった、と思った。
さて、ロープウェイには最終便の時間というものがある。大抵16:30とか、17:00くらい。いつまでものんびりしてはいられない。登りより時間はかからないとは言え、下りは登り以上に足を置く場所に神経を使うし、今回は怪我人もいる。ゆっくり、しかし丁寧に、時間に間に合うように急いで下山する。内心怖かった。ギリギリだった。(朝の)出発が遅い。学びを得ました。
ロープウェイに乗って一安心。思ったよりきつかったね、と笑い合いながら、温泉にもちゃっかり寄ってから帰った。
次の日からもう体がバキバキだったけど、怪我した同行者が丁寧に揉んでくれました。すぐ治った。ありがとう。やはり山は精神の修行。一緒に行く人が大事。
#感想 #⛰️▲CLOSE
筑波山は、私が体力ゼロで初めて富士山に挑むことになった時、練習で登らされた最初の山…! あのときはわけもわからず登り始め、チームについていくのに必死で、自分のペースで歩くことも優先できなくて、展望台に着くなり吐いたという苦い記憶があります。
改めて富士山にリベンジすることになったので、定石通り、練習しに行きました。でも今回はのんびりペースを守って登って、無事に山頂まで元気に行けたよ✌️
(この記事は、407のあとに書かれて、しれっと追加されました)
人が多い!
さすが有名な筑波山。上からも下からも人が途切れることのない賑やかな登山道。行楽シーズンだったこともあってか、お子さん連れの家族がとても多かったです。ちいさなリュックを自ら背負っている子もいてすごかった。
通り過ぎるたびにきちんと挨拶してくれて、そのたびにこちらもちょっと元気が出る。もちろん家族連れに限らず、ベテランぽい人から、ゲームキャラのぬいぐるみをリュックにぶら下げてるお兄さんたちまで、いろんな人が挨拶してくれる。こんにちは、おつかれさま、がんばって。山の人たちはやさしい。しんどいのを知っているからね。
ゆっくり行こう
少し蒸し暑かったし、緊張もしていたけど、登り始めの胸のドキドキは、ゆっくり足を動かしているうちになくなった。ああ、これを無視して登ったなあ。昔の記憶が蘇って、ちょっと指先が冷えるような感覚になってくる。あのとき私は、怖さとか、緊張とか、動悸や息切れも、全部振り切ろうとしたんだよなあ。
実は私が筑波山に初めて登ったのは、新卒で入った会社の新入社員研修の一環だった。参加は任意だったけど、会社から弱いやつと思われたくなくて、人事の人をがっかりさせたくなくて、私は恐怖から「参加します」と返事した。そして登っている間も、同期から置いていかれたくなくて、みんなについて行きたくて、怖くて怖くて必死に登った。
今はちがう。そんなに無理しなくたってよかったんだよな、って思える。山は無理して登るものじゃない。誰かと競争することでもない。そういうふうに教えてくれる人が昔の私にいたらよかったけど、でもいても当時の私は聞かなかったかもしれないな。今は自分が自分に言ってあげられる。自分も聞く耳を持てる。その点は、あの日から成長したと言えると思う。
今回の同行者2人は私と同じく登山初心者だった。でも、ゆっくり歩く私より全然余裕そう。今の私なら、どんどん登っていこうとする2人にあえて強く言える。「最初はゆっくりすぎるくらいがちょうどいいの!」
877mを侮るな
筑波山は百名山の中で一番低い山だけど、私たちが選んだ御幸ヶ原コースには大きな石もごろごろあって、なかなかワイルドな山道。同行者たちはあっという間に疲弊して、「こんなんだと思ってなかった」と、水をガブガブ飲み、「あとどれくらい?」「半分くらいは来た?」と口々に呟く。私は記憶が曖昧なまま地図を見る。こんなだったっけ、こんなだったかも? もう覚えてないよ。最後にたくさん階段があった気がする。すごい長い階段を上り切って、景色が開けるんだよ。
その記憶だけは正しい自信があった。階段の一歩一歩をすがるような気持ちで登って、最後の一段を上がって広い空を見た時に、緊張が緩んで吐いたのだから…。
ところで筑波山は、ロープウェイでも登れる。頂上付近の駅のまわりにはご飯を食べられる場所もある。やっとの思いで辿り着いて、景色を拝もうと顔を上げたら、ものすごい人の数で若干引いた。登る体力に自信がない人はロープウェイを使っている。それも一つの選択。あと犬もいた。ロープウェイで来たのだろう。疲れている時に見る犬、めちゃかわいくてうれしい。
無事に辿り着けたことを喜んで、3人でうどんを食べた。最悪の気分だった前回と違って、今回はおいしいものも食べられる。その余裕が嬉しかった。嫌な記憶を塗り替えた。自分の力で…。そう思うとほっとして力が抜ける。しかし、実のところ、筑波山の山頂はもう少し上にある。
怪我人と見学者
お腹を満たして、さあもうひと頑張り、となったところで、同行者が小さな段差に躓いて転んでしまった。膝を擦りむいて血が滲んでいる。長ズボンを履いていたけど、地面がコンクリートだったので削れてしまったらしい。岩場で倒れなくてよかったよ…と慰めながら、ティッシュで押さえて、絆創膏を貼った。怪我人は、転んで膝を擦りむくなんて子供のとき以来らしく、ショックを受けて動揺していた。その姿が、その昔、吐いて優しくされて余計惨めな気持ちになった自分と重なる。かわいそうに…。
手当てが済み、立ちあがろうとした時、隣に小さな女の子が立っているのに気がついた。小屋の脇の、すこしひらけた場所だったので、他の子と近くで遊んでいたのだろう。そこに大人が喚いて転がったのを目撃し、何事だろうと近くまで見に来たらしい。何にも言わず、固唾を飲んで、転んだ大人の膝を凝視していた。その目のあまりのまんまるさに、深刻なムードも忘れてちょっと吹き出しそうになる。
そのひと、どうしたの?大丈夫?と思ったけど、大人相手には咄嗟に言えなかったのかもしれない。それか、言おうとしたけど、大人が転んで痛がり、血を流す姿を見てショックだったのかもしれない。とにかくその子は怪我人が気になって気になって、吸い寄せられてきちゃったのだ。
「見ちゃダメ!」と声がして、姉らしき子が走ってくる。そして妹の手を乱暴に掴んで、引っ張った。引っ張られた子がよろける。しかしそのつぶらな瞳は、いまだ膝の絆創膏に釘付けだ。なぜかこちらが慌ててしまって、説明のように呟いた。「心配してくれたんだよね、ありがとう、もう大丈夫だよ。ちゃんと手当したからね。じゃあ、立てる?」そう言って、まだ座ったままの怪我人をすがるような気持ちで見る。子供たちもおそらく彼女を見た。「ううん」と、まだ動揺している彼女はそう言った。「まだ手が痛いから無理」。そのあとも、しばらく3人で怪我人を見守った。
がんばったご褒美!
筑波山の山頂は二つある。男体山と女体山、それぞれの山頂だ。怪我人が発生したので、あともう少しだけ頑張って、近い方の女体山に登り、帰りはロープウェイで下ることにした。初回にしては十分頑張った。本番は富士山で、今回はその練習だから、別に完璧な軍行でなくたっていい。
女体山の山頂には、神社がある。その裏手に岩が迫り出していて、そこに山頂の看板も立っている。岩の上に立ってみると、景色が最高だった。太陽に照らされ、鏡のように光を反射する水田が一面に広がっていた。
前にも見たことがある、と思った。当時の私は吐きながら、それでもみんなに置いていかれまいと、山頂まで這い上がったのだろう。忘れてた。ロープウェイの駅までだと思ってた。でも、今回の方が、前来たときよりずっと綺麗だ、と思った。
楽しく登れたのは、仲間たちのおかげだ。そしてあのときのリベンジをするか、と決意した過去の私のおかげ。来てよかった、と思った。
さて、ロープウェイには最終便の時間というものがある。大抵16:30とか、17:00くらい。いつまでものんびりしてはいられない。登りより時間はかからないとは言え、下りは登り以上に足を置く場所に神経を使うし、今回は怪我人もいる。ゆっくり、しかし丁寧に、時間に間に合うように急いで下山する。内心怖かった。ギリギリだった。(朝の)出発が遅い。学びを得ました。
ロープウェイに乗って一安心。思ったよりきつかったね、と笑い合いながら、温泉にもちゃっかり寄ってから帰った。
次の日からもう体がバキバキだったけど、怪我した同行者が丁寧に揉んでくれました。すぐ治った。ありがとう。やはり山は精神の修行。一緒に行く人が大事。
#感想 #⛰️▲CLOSE
ひさびさにセットダンス(アイリッシュダンス)の練習会に行ったよ〜。コールとかステップとかほぼ忘れてた。でもすご〜く楽しかった。
セットダンスはワルツみたいにペアと踊るダンスなので、音楽に身を任せればある程度はペアにリードしてもらえる。しかし相手に頼り切っていると、ペアの人もコールを覚えてなかったりしてあたふたする。それ込みでアイリッシュセットは面白いんだよね…。そもそも各地域でいろんな固有の踊り方があったりとか、新しく増えたりして、ざっと数えても300種類ぐらいあるらしい。日本でいうところの夏祭りの盆踊りみたいな感じかな。もともとこの練習会もケーリー(ダンスパーティー)で踊るセットダンスの予習練習なので…みんな踊れないんだ。ケーリーは予習が大事!!
そしてこの「完璧じゃない2人が、踊れなくても踊る」ために、お互い身体性コミュニケーションをとっていく必要があり、これがめちゃくちゃ面白い。
ステップの距離感とか、手を握る時や手を背中に添える時の力の入れ具合とか、相手が次の動きをわかってなさそうだったら音楽よりちょっと先に動き出すとか…。気遣いあいながら、動きながらペアと感覚を合わせていく感じ。ケーリーならではで楽しい。踊りやすいと、相手が踊りやすくしてくれてるなあ〜っておもう。そしてせっかく息があっても、ダンスの途中でペアが変わったりする。さよなら〜。
その状況やルールを受け入れて言葉よりも速いレベルで相手に寄り添う、言語ではない形で相手を気遣いあう、そういう空間が成立すると、ある種の楽しさになっていくんだろうな…。
お話のこととか文字を追うばっかりの生活してると見失いがちだけど、こういう、純粋に楽しさだけでやることとか、言葉に頼らないコミュニケーションの良さとか、改めて確認するのもいいね。ケーリーに向けて頑張るぞ〜。▲CLOSE
セットダンスはワルツみたいにペアと踊るダンスなので、音楽に身を任せればある程度はペアにリードしてもらえる。しかし相手に頼り切っていると、ペアの人もコールを覚えてなかったりしてあたふたする。それ込みでアイリッシュセットは面白いんだよね…。そもそも各地域でいろんな固有の踊り方があったりとか、新しく増えたりして、ざっと数えても300種類ぐらいあるらしい。日本でいうところの夏祭りの盆踊りみたいな感じかな。もともとこの練習会もケーリー(ダンスパーティー)で踊るセットダンスの予習練習なので…みんな踊れないんだ。ケーリーは予習が大事!!
そしてこの「完璧じゃない2人が、踊れなくても踊る」ために、お互い身体性コミュニケーションをとっていく必要があり、これがめちゃくちゃ面白い。
ステップの距離感とか、手を握る時や手を背中に添える時の力の入れ具合とか、相手が次の動きをわかってなさそうだったら音楽よりちょっと先に動き出すとか…。気遣いあいながら、動きながらペアと感覚を合わせていく感じ。ケーリーならではで楽しい。踊りやすいと、相手が踊りやすくしてくれてるなあ〜っておもう。そしてせっかく息があっても、ダンスの途中でペアが変わったりする。さよなら〜。
その状況やルールを受け入れて言葉よりも速いレベルで相手に寄り添う、言語ではない形で相手を気遣いあう、そういう空間が成立すると、ある種の楽しさになっていくんだろうな…。
お話のこととか文字を追うばっかりの生活してると見失いがちだけど、こういう、純粋に楽しさだけでやることとか、言葉に頼らないコミュニケーションの良さとか、改めて確認するのもいいね。ケーリーに向けて頑張るぞ〜。▲CLOSE
この時期は、勇気がたくさん必要だなと感じる。新生活、新しい出会い、社会のシステムがそもそもそうなんだろうけど、一つ前の冬に考え抜いたことを実行するタイミングでもあるからね。なにかを辞める勇気だったり、始める勇気だったり。冬にはできないことが、春だと不思議とこなせる。むしろ負担も少なく感じて(あるいはめっちゃでかいけど仕方なく)、いっちょやるか、みたいなのが多い。
春っていうのは、他の季節と比べると、人や物との関係を結び直したり解いたりすることに使うエネルギーが少なくて済むんだと思う。勇気を出すための補助エンジンみたいな役割を果たしている気がする。冬に悩んだことを、春にゆっくり実行に移すって感じだ。みんなそうなのかな。
でも春という動力は、残念ながら長続きしない。夏はまだやりたいことに目を向けてられる。でもどんどん体力が削られてほとんどしがみつくみたいな気持ちでやる。秋になってくると疲れ切ってもう熱意もギリ。冬は全然何にもできない。寝て回復する。でも頭は焦ってたくさん悩んで決めきれないままでいる。だから、結局答えが出なくて、春にかけてゆっくり決めることになる。そして春になったらちょっとの勇気で実行する。それが最近のライフサイクルだ。一年スパン。うーん。
自分の理想ってわけじゃない。振り返ったらそのような気がする、という感じだ。私は春に決めたことを、ゆっくり一年かけて試して、そうしながらまた次の春に決断をする勇気を貯金しているんじゃないかな。春になったらどこかから急にボンって出てくるんじゃなくて、あくまでマイペースに、子供の積み木のように積み立ててきた行動や日常に、勇気を、元となる経験や根拠を、少しずつ貯めているんじゃないかな。最近特に、そういうふうに感じる。
子供の頃は、勇気のイメージって、グッと踏み込んでアクセルを回すパワーのイメージだった。だから勇気が出せない時、勇気がない私は意気地なしだ、と思っていた。でもたぶん、勇気ってそういうものじゃないんだね。判断のもととなる根拠を信じられれば、勇気っていらないんだよ。怖くてもそうするべきだと信じられる気持ちの補強をすること、それが勇気を作る方法なのかも。
積み上げと着地、繰り返す経験のイメージだとおもうと、勇気出すのもそんなに怖くない。▲CLOSE
春っていうのは、他の季節と比べると、人や物との関係を結び直したり解いたりすることに使うエネルギーが少なくて済むんだと思う。勇気を出すための補助エンジンみたいな役割を果たしている気がする。冬に悩んだことを、春にゆっくり実行に移すって感じだ。みんなそうなのかな。
でも春という動力は、残念ながら長続きしない。夏はまだやりたいことに目を向けてられる。でもどんどん体力が削られてほとんどしがみつくみたいな気持ちでやる。秋になってくると疲れ切ってもう熱意もギリ。冬は全然何にもできない。寝て回復する。でも頭は焦ってたくさん悩んで決めきれないままでいる。だから、結局答えが出なくて、春にかけてゆっくり決めることになる。そして春になったらちょっとの勇気で実行する。それが最近のライフサイクルだ。一年スパン。うーん。
自分の理想ってわけじゃない。振り返ったらそのような気がする、という感じだ。私は春に決めたことを、ゆっくり一年かけて試して、そうしながらまた次の春に決断をする勇気を貯金しているんじゃないかな。春になったらどこかから急にボンって出てくるんじゃなくて、あくまでマイペースに、子供の積み木のように積み立ててきた行動や日常に、勇気を、元となる経験や根拠を、少しずつ貯めているんじゃないかな。最近特に、そういうふうに感じる。
子供の頃は、勇気のイメージって、グッと踏み込んでアクセルを回すパワーのイメージだった。だから勇気が出せない時、勇気がない私は意気地なしだ、と思っていた。でもたぶん、勇気ってそういうものじゃないんだね。判断のもととなる根拠を信じられれば、勇気っていらないんだよ。怖くてもそうするべきだと信じられる気持ちの補強をすること、それが勇気を作る方法なのかも。
積み上げと着地、繰り返す経験のイメージだとおもうと、勇気出すのもそんなに怖くない。▲CLOSE
せっかく咲いた我が家のチューリップが薙ぎ倒されてた。かなしい。朝まで凛々しく立っていたのに、夜になったら超能力で曲げられたスプーンみたいにぐんにゃり曲がっていた。理由はわかる。強くて生あたたかい風と雨粒が、チューリップをプランターの土に叩きつけた。春の嵐のせい。
八重咲だし、綺麗な花びらを抱えてる分、頭が重くて雨風に弱いんだね…。つらくなって、玄関の中にプランターを引きずり込んで避難させた。一応支柱も立てて固定してみたけど、回復するかわからない。かなしいよ! こんなことなら、朝のうちに入れとけばよかったな。
雷よりも、強い雨が結構怖いかも。今日みたいに強い風に煽られてくる雨は特に。窓から眺める街は白く霞んで、よく見るとカーテンみたいに雨粒と風の軌道が見える。それが強弱をつけてガラスに吹き付けると、思ってたよりでっかい雨音がして怖い。「横殴りの雨」って、雨が殴ってるんじゃなくて風が殴ってきてるんだよな。たぶん。
いつもの時間に散歩に行けなかったから、犬を膝に抱えて春の嵐を見ていて、そのうち犬があったかくて寝てしまった。しばらくして外に出たら、雨はすっかり止んでいた。濡れた地面から夏の匂いがする気がして、テディを見る。毛皮に覆われた生き物には厳しい季節がやってくる。毛皮がなくてももう十分、手厳しい季節だけど。
▲CLOSE
季節の変わり目、合言葉は「体が暑さに慣れていないので、水分補給はこまめに」! お天気ニュースのキャスターが言ってたよ。
絵文字ありがとうございます🙏
八重咲だし、綺麗な花びらを抱えてる分、頭が重くて雨風に弱いんだね…。つらくなって、玄関の中にプランターを引きずり込んで避難させた。一応支柱も立てて固定してみたけど、回復するかわからない。かなしいよ! こんなことなら、朝のうちに入れとけばよかったな。
雷よりも、強い雨が結構怖いかも。今日みたいに強い風に煽られてくる雨は特に。窓から眺める街は白く霞んで、よく見るとカーテンみたいに雨粒と風の軌道が見える。それが強弱をつけてガラスに吹き付けると、思ってたよりでっかい雨音がして怖い。「横殴りの雨」って、雨が殴ってるんじゃなくて風が殴ってきてるんだよな。たぶん。
いつもの時間に散歩に行けなかったから、犬を膝に抱えて春の嵐を見ていて、そのうち犬があったかくて寝てしまった。しばらくして外に出たら、雨はすっかり止んでいた。濡れた地面から夏の匂いがする気がして、テディを見る。毛皮に覆われた生き物には厳しい季節がやってくる。毛皮がなくてももう十分、手厳しい季節だけど。
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季節の変わり目、合言葉は「体が暑さに慣れていないので、水分補給はこまめに」! お天気ニュースのキャスターが言ってたよ。
絵文字ありがとうございます🙏
図書館で本を借りたら、偶然にもその本を読む朗読会が週末ある、というチラシが目に止まった。読まれる予定の作品は全部知らない本だけど、予定もとくにない。参加無料みたいだし行ってみるか。って感じで行ってきた。すごくよかったです!
本来は耳で聞くよりも目で読みたい派…。オーディブルとかも、集中しなきゃいけなさそうでだるいな、と嫌厭してたけど…。そもそも朗読って、読書とはまるで違う体験なんだなあ、と思った。
少し暗くなった小さな部屋。挨拶する人から伝わるちょっとした緊張感。紙をめくる音。それから目の前から響いてくる、落ち着いた声。どんな物語なのか知らずに出会う本の温度感。目を閉じて、自分の頭の中だけで見る物語。終わったあと心地よい気持ちになった。3作品を20分ずつ朗読してもらって、1時間があっという間だった。
そのうちの1作品、手元に本があったからわかったことだけど、聞き取りやすいようにいろんな工夫をしてくれているようだった。音だけで判断しづらい単語は、なくても成立しそうなものだけ省いたり、てにをはを調整したり、時間内にまとまるようにかいつまんで読んでくれてる部分もあったり。この本は分厚すぎてなかなか手をつけられてなくて、(借りる前はこんなに分厚いって知らなくて…もごもご)朗読会が終わったら読み始めようと思ってたので、「続きが気になる方はぜひ図書館で借りてください」という言葉に背中を押されたような気持ちになった。よし、読もう…!
会が終わったあと、朗読してくれた人たちとちょっとしたコミュニケーションを取れるのもいい。読まれた中で、すごく好き!と思った本があって…と話しかけてみたら、脚本家さんが書いた小説なのよって教えてもらった。そっかあ。やっぱりそうなのか。私はやっぱり、映像的な小説の方が好きなんだな。脚本のト書きでも確かに、耳に心地よいテンポで、というのは意識されることで、でも小説を書く時ってあんまりそこは考えてなかった。三人称って説明入れやすいし、余計なこと書きすぎちゃってるのか、という気づきを体験として理解した。
小説のテンポっていわれてもあんまりわかんないけど、音で聴いて心地いいテンポならわかりやすい。というわけで参考にすべく、その人の本をそのまま借りてきた。今思うとなぜ最初に思い付かなかったのかって感じだけど…。でも偶然が重なって、その先で探してたものかもしれない新しいことを見つけられた気がして、すごくうれしかった。帰り道、桜吹雪の中をるんるんで歩いた。
次回は1ヶ月後。どれも知らない本だけど、多分面白いと思う。また参加したい。できたら勇気出して、朗読のコツとか、ちょっとだけ聞いてみようかな。
▲CLOSE
絵文字ありがとうございます🙏
春は、なんか新しいこと、やってみたくなるよね。
本来は耳で聞くよりも目で読みたい派…。オーディブルとかも、集中しなきゃいけなさそうでだるいな、と嫌厭してたけど…。そもそも朗読って、読書とはまるで違う体験なんだなあ、と思った。
少し暗くなった小さな部屋。挨拶する人から伝わるちょっとした緊張感。紙をめくる音。それから目の前から響いてくる、落ち着いた声。どんな物語なのか知らずに出会う本の温度感。目を閉じて、自分の頭の中だけで見る物語。終わったあと心地よい気持ちになった。3作品を20分ずつ朗読してもらって、1時間があっという間だった。
そのうちの1作品、手元に本があったからわかったことだけど、聞き取りやすいようにいろんな工夫をしてくれているようだった。音だけで判断しづらい単語は、なくても成立しそうなものだけ省いたり、てにをはを調整したり、時間内にまとまるようにかいつまんで読んでくれてる部分もあったり。この本は分厚すぎてなかなか手をつけられてなくて、(借りる前はこんなに分厚いって知らなくて…もごもご)朗読会が終わったら読み始めようと思ってたので、「続きが気になる方はぜひ図書館で借りてください」という言葉に背中を押されたような気持ちになった。よし、読もう…!
会が終わったあと、朗読してくれた人たちとちょっとしたコミュニケーションを取れるのもいい。読まれた中で、すごく好き!と思った本があって…と話しかけてみたら、脚本家さんが書いた小説なのよって教えてもらった。そっかあ。やっぱりそうなのか。私はやっぱり、映像的な小説の方が好きなんだな。脚本のト書きでも確かに、耳に心地よいテンポで、というのは意識されることで、でも小説を書く時ってあんまりそこは考えてなかった。三人称って説明入れやすいし、余計なこと書きすぎちゃってるのか、という気づきを体験として理解した。
小説のテンポっていわれてもあんまりわかんないけど、音で聴いて心地いいテンポならわかりやすい。というわけで参考にすべく、その人の本をそのまま借りてきた。今思うとなぜ最初に思い付かなかったのかって感じだけど…。でも偶然が重なって、その先で探してたものかもしれない新しいことを見つけられた気がして、すごくうれしかった。帰り道、桜吹雪の中をるんるんで歩いた。
次回は1ヶ月後。どれも知らない本だけど、多分面白いと思う。また参加したい。できたら勇気出して、朗読のコツとか、ちょっとだけ聞いてみようかな。
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絵文字ありがとうございます🙏
春は、なんか新しいこと、やってみたくなるよね。
最近ますます言葉が難しい。自分がそうありたいって思ってるだけのことなのに、相手にもそうあるべきだって押し付けるような言い方になってしまったり、自分が思い込んでいることが相手にとっては全然見当違いのことだったりする。自分が信じたいことを、強く思うときこそ気をつけないとなあ。反省しなくちゃ。
昨日は屋外で過ごすには寒すぎて、室内で過ごすには暑すぎた。なんだかそれだけのことが、すごく疲れちゃった。3連休の最終日、無理して外に出たのに、あんまりよくなかったなあ。体力が弱っていると、考える力も少なくなって、言葉も雑になってしまう。頭も心も体の一部だもんね。季節の変わり目、すべてが難しい。無理せず、できる範囲で素直に過ごそう…。▲CLOSE
昨日は屋外で過ごすには寒すぎて、室内で過ごすには暑すぎた。なんだかそれだけのことが、すごく疲れちゃった。3連休の最終日、無理して外に出たのに、あんまりよくなかったなあ。体力が弱っていると、考える力も少なくなって、言葉も雑になってしまう。頭も心も体の一部だもんね。季節の変わり目、すべてが難しい。無理せず、できる範囲で素直に過ごそう…。▲CLOSE
桜の開花宣言を受けて、近くの公園でも咲いているのかどうか見に行ってみた。まだまだつぼみだったけど、5輪咲いていることは確認できたので、僭越ながら私から、ご近所エリアの桜の開花を宣言します。✌️。
気象庁が発表する桜の開花宣言には、作法みたいなのがあるのでしょうか。ニュースを見ていたら、スーツ姿の職員さんが指差し確認しながらお花の数を数え、丁寧に手元のクリップボードになにやら書き込んで、それからTVカメラに向き合い、居住まいを正し、息を整えて、ゆっくりと口を開き、「開花を宣言します」と言っていた。ちょっとドキドキするような緊張感の中に、おお、っと周囲の人のどよめきが聞こえてくる。標本木の周りの柵を覆うように見守っていた大勢の人たちが、みんな笑顔になり、拍手が送られる。それを見てなんだかこっちまで笑顔になるし、咲いたのか〜って嬉しくなったりする。お花が咲いたことがこんなふうに政府機関から発表され、こんなふうに喜ぶ姿がニュースで報道される国、ほかにもあるのかなあ。
アメリカの春の風物詩はグラウンドホッグっていうジリスで、冬眠から目覚めた彼らの様子で、本格的な春の到来までどれくらいなのかを占うらしい。ジリスをカゴから取り出して、天に掲げてる燕尾服姿のおじいちゃんたちの様子をテレビで見た。あのときはおもしろくて笑ったけど、桜の開花宣言も似たようなものかも。
みんなで拍手して、春の到来を喜ぶ。儀式めいた形式の仰々しさが、和やかな空気の中に存在していて、そのちぐはぐさが面白い。でもその仰々しさは真面目さでもある。真摯に向き合って、大切にすること。桜の開花がこんなにも大切にされていること自体が、私は嬉しいのかもしれない。だからまだまだ満開の時期には早いとわかっていても、るんるんしながら早速桜の木を見に行ってしまったのかもしれない。満開になるのが楽しみだ。
余談だけど、『恋はデジャ・ブ』(1993)の原題が『Groundhog Day』なんですね。名作って言われてるし見たいと思いつつ見れてない1本ですが…グラウンドホッグに占わせる日をずっとループするのかな…もうおもしろいじゃん…。▲CLOSE
気象庁が発表する桜の開花宣言には、作法みたいなのがあるのでしょうか。ニュースを見ていたら、スーツ姿の職員さんが指差し確認しながらお花の数を数え、丁寧に手元のクリップボードになにやら書き込んで、それからTVカメラに向き合い、居住まいを正し、息を整えて、ゆっくりと口を開き、「開花を宣言します」と言っていた。ちょっとドキドキするような緊張感の中に、おお、っと周囲の人のどよめきが聞こえてくる。標本木の周りの柵を覆うように見守っていた大勢の人たちが、みんな笑顔になり、拍手が送られる。それを見てなんだかこっちまで笑顔になるし、咲いたのか〜って嬉しくなったりする。お花が咲いたことがこんなふうに政府機関から発表され、こんなふうに喜ぶ姿がニュースで報道される国、ほかにもあるのかなあ。
アメリカの春の風物詩はグラウンドホッグっていうジリスで、冬眠から目覚めた彼らの様子で、本格的な春の到来までどれくらいなのかを占うらしい。ジリスをカゴから取り出して、天に掲げてる燕尾服姿のおじいちゃんたちの様子をテレビで見た。あのときはおもしろくて笑ったけど、桜の開花宣言も似たようなものかも。
みんなで拍手して、春の到来を喜ぶ。儀式めいた形式の仰々しさが、和やかな空気の中に存在していて、そのちぐはぐさが面白い。でもその仰々しさは真面目さでもある。真摯に向き合って、大切にすること。桜の開花がこんなにも大切にされていること自体が、私は嬉しいのかもしれない。だからまだまだ満開の時期には早いとわかっていても、るんるんしながら早速桜の木を見に行ってしまったのかもしれない。満開になるのが楽しみだ。
余談だけど、『恋はデジャ・ブ』(1993)の原題が『Groundhog Day』なんですね。名作って言われてるし見たいと思いつつ見れてない1本ですが…グラウンドホッグに占わせる日をずっとループするのかな…もうおもしろいじゃん…。▲CLOSE

いない間も絵文字ありがとうございました🙏