我らが幼い次期女王陛下は、最近おもちゃにご執心だ。オレンジ色のピグミー。サイが養殖室に入れていたのを、どうやってか盗みだしてきたらしい。
同世代の友だちがいない哀れな我らが姫君は、口も聞けない子豚ちゃんと何故だか仲良く遊びまわり、お気に入りのぬいぐるみを貸してやったり、無駄に広い庭で走り回ったり、ひとりだけそれはそれは楽しそうにきゃあきゃあやかましく騒ぎ倒していた。
最初は娘の成長を見守る親ごっこを満更でもない気分で楽しんでいた俺達一番隊の連中も、自分たちが和やかで温かい家族に向かないことはとっくの昔に分かっていて、気がつけば四六時中いつでもどこでも発作のように湧き上がるキッシュの甲高い笑い声にそろそろ精神も限界に達しようとしていた。
最初に限界が来たのはもちろんお察しの通り我が愛しの女王陛下。彼女が全く堪え性の無い女なのは誰もがよく知っていた。
「いい加減あのガキを黙らせろ!!」
窓の外からお決まりの悲鳴のような笑い声が炸裂した時、頭蓋骨を割らんばかりのサイバーテロみたいなノイズに彼女は顔をしかめて絶叫した。普段は自分の妹に全く興味を示さないくせに、彼女はやはり自分以外の幸せに過剰なまでに敏感だ。まァまァお嬢、冷静になれよ。キッシュもそのうち遊ぶのに飽きて、腹が減ったら隣にいる彼女が美味しいオヤツだったってことに気付くさ。みんな通る道だ。まァ確かに子供の笑い声ってのは頭にくることもあるけど、一般的にはハッピーノイズってやつだぜ。ぶっ殺すのは寝起きのベッドの上で突然耳元であれをやられた時でいい。
「そんなに怒るなよ。子供の遊びだろ」
「口答えしてんじゃねェぞキャスケット、ムカつくんだよ…! とっとと殺せ」
女王の座に鎮座し怒りで歯が軋むんじゃねェかと思うほど歯を食いしばって自分の妹を罵りまくる女王陛下の嫌悪感に歪んだ美しい顔を眺めて、俺は眉を上げてため息をついた。遊ばせてやれよ、一人ぼっちなんだ。今まで同世代の友達も居なかった。ただの子供同士の遊びだろ。ぬいぐるみとかおままごととか。何かできるわけじゃない。
「食用と遊びまわってんだぞ! 何が『ただの』だ!!! 今すぐ引き離して食っちまえ。あのクソガキの夕飯に出せよ。気分が悪い」
「オイお嬢、どうしたの? なんでそんなムキになってんだよ。そんなにカッカすることじゃねェって…」
笑いながら王座の後ろに回って彼女を抱きしめようと手を伸ばせば、あっという間にその手はあっさり弾かれた。ぱちんと強く拒絶の痕が弾かれた手に痛みとして残って、俺はぽかんとしたあと口だけ小さくへの字に曲げる。
「触るな。いいからあのガキに喰わせろよ」
さっきのヒステリックな叫び声とは違う、低く唸るような声。こっちを見ない瞳を盗み見れば、視線は俺に見えない誰かを睨みつけてるみたいに刺々しい。煌めく黄緑は燃え上がるような毒の色。だから俺は「ああ」、と短く呟いて納得する。愛しの彼と重ねてるワケね。そりゃ不機嫌になるわけだ。 彼女を抱こうとした両手を上げて、そのまま吸い込んだ息を吐き出しながら首をすくめる。
「わかったから落ち着け…お嬢、ハチルが要るんじゃないのか? 俺が呼んできてやるよ」
「アイツなら帰ってきてる」
おどけて言った俺の声に、女王陛下はぶっきらぼうに吐き捨てた。
「もう帰ってきてるよ」
ハチルはすぐ見つかった。俺が言う前にどうやら他の連中からキッシュの話を聞いたらしい。
ハチルが帰ってくるたびに不機嫌になるニータをとっ捕まえて吐かせた話によると、「食用と遊びまわるプロ」の彼は、偶然その場に居たことでキッシュを子豚ちゃんと遊ばせておいた俺たち代表になってしまったニータを、なんで遊ばせとくんだと叱りつけたらしい。自分は遊んでるくせに、と忌々しそうに毒づいたニータにその通りだと俺も思う。お優しいアイツの、矛盾だらけで、14の女の子にだって分かるぐらい脆弱な、弱っちくて生ぬるい正義感。
「久しぶりに会っていきなりお説教なんてイヤですう。ニータが悪いわけじゃないし? キッシュちゃんがいいならいいじゃないですかぁ…せっかく教えてあげたのにい。ところでやっぱりあの子、今日キッシュちゃんのご飯になるんですかあ? クイン様のお話ってそれでしょお? ニータたちも食べられますかねぇ…あの量じゃニータの分は無理かなあ」
そういえばサイズ感。言われて思い出す。あの子豚ちゃん何キロぐらいだったっけ。
どうせ食べるなら、もうちょっと太らせたほうが良さそうなのにな。
と、そこに問題のキッシュのけたたましい歓喜の声が聞こえる。どうやらハチルが彼女を見つけたらしい。声のする方へ足を運んだら、部屋の中でキッシュは暴れる子犬のように、ハチルの服を掴んで嬉しそうに叫びながらもがきまくっていた。
「いつ帰ってきたの!?」
「昨日の夜。キッシュの部屋行ったんだけど、いなかったろ。昨日はどこで寝てたの?」
「屋根裏部屋! この子と秘密基地を作ったの! あとでハチルちゃんにも見してあげる」
パパと娘みたい?
どっちかっていうとママだな。
俺が入口のドアのところでぼんやりその昼下がりの午後に繰り広げられる緩くてやわらかい絡み方を眺めていたら、ハチルより先にキッシュが俺に気づいた。よォと手だけで返事を返そうとした俺に、キッシュはしっかりハチルの首に抱きついて、その背中越しに俺を見ながらそれでも俺が居ないフリをした。子供は賢い。頭で理解はできなくても、空気を肌で感じとる。嫌われちゃってんのかなァ俺。ニヤリと口元を歪める俺が見えなかったみたいに、キッシュはハチルと会話を続けた。
「ハチルちゃん、ハチルちゃんは、…ハチルちゃんは知ってる? 秘密だけどね、今日は晩ごはんが豪華なんだよ。サイがさっき準備してたの見たもん。キッシュねえ、お魚だと思う」
半分アタリで、半分ハズレだよお嬢ちゃん。
平和なディナーの会話。さァ大好きなハチルちゃんはどうすんのかな。勝手に顔がニヤついてくる。
「キッシュ、聞いて」
ハチルが静かに言った。俺は口元をゆるめたまま、彼が口を開くのを黙って待っていた。
キッシュもハチルを見つめて、子供なりに何かを感じて、そのまま大人しく口を閉じた。
「あの子と遊んじゃダメだ。もう会うのはよせ」
「どうして?」
「…今は仲が良くても…いつかバイバイするとき辛いだろ」
「お別れなんてしない。あの子は友達だもん。ずっと友達」
何も知らないキッシュちゃんの決意は固い。 ハチルは困っている。表情は変わらずとも、俺には分かる。 子供はいつだって厄介で、めんどくさくて、時限爆弾みたいだ。 なんでとか、どうしてとか、教えてとかばっかり。 言ったってわからないこともあるし、大人には子供に言えない事情だってある。だがそもそもそれが子供にはわからない。
うるせえって言って顔ひっぱたけよ。
俺は彼の背中を見つめて思う。
その子をモンスターから守りたきゃ、無理やり力づくで言うこと聞かせろ。
お前にはその力があるんだ。ぶん殴れよ。手っ取り早いぜ、一瞬だ。
さァ、やれよ、ハチル。
「…キッシュ…いいか、その子はリヴリーだ」
ハチルは頑張って先を続けた。俺は感動で泣きそうだ。
「リヴリーだとダメなの?」
疑問符攻撃。
キッシュに悪意はない。もちろんない。
お前はリヴリーと付き合って、楽しく暮らしてるくせに。
そう聞こえてるのは、お前の頭の中のお前の勝手な幻聴。
「…リヴリーは、俺達とは違うんだ。お前はスズメバチで、大きくなったら、女王様になるんだろ?」
途切れ途切れの言葉の隙間から、ハチルが丁寧に言葉を選んでいるのがわかった。
優しい彼は小さな少女を傷つけたくない。
だけど彼は忘れている。今眼の前で泣きそうな目をして立っている幼気な少女が、モンスターだっていうことを。
「あの子が好きなの。一緒にいるとすごく楽しいの。どうしてダメなの? 一緒にいられないの?」
「キッシュ、一緒にいるっていうことは…」
俺はそこで溜息とともに乱暴にドアをノックした。ハチルが驚いて振り返り、キッシュは表情を変えなかった。俺がハチルにその先を言わせなかったのを、賢い彼女は気づいていた。 残念でした。お前のハチルちゃんはお前を守れなかった。キッシュはきゅっとその細い腕に力を込めて必死にハチルの首にしがみつこうとしたが、俺のハチルは優しくそれを拒んだ。一瞬戸惑ったキッシュに大丈夫だと囁いて、ハチルは彼女を必要以上に優しく床に下ろした。バカだなあハチコ、そんなに優しくするから余計怖くなるんだろ。
「一緒にいられるよキッシュちゃん」
わざとらしく作った笑顔でそう言って、強引に彼女の手を取る。
一瞬嫌がったキッシュを背中からせっついて、歩くように促した。チラリ、哀れな我が姫君は王子様に助けを求めるが、残念ながらそれはお前のじゃなくて俺のなんだ。悪いなキッシュ。お前のおもちゃは今日みんなで分けっこして食べることになってる。
「ハチルちゃんだってリヴリーと仲良しなんだ。お前だってリヴリーと一緒に遊べるよ」
王子様を盗られたキッシュはむくれて喋らない。まあいいさ。
「腹の中でな」
ハチルに聞こえたかどうかはわからない。だけどちらりと見れば、彼は思った通りの顔で俺を睨んで、けれど何も言わなかった。ハチル、お前は大好きなリヴリーちゃんとどこで何して遊ぶ予定なんだっけ? 何でもいいけどせいぜい楽しめよ。一目惚れした可愛い女の子でも、大好きなとっておきでも、必死に俺から隠してるなんとかちゃんでも、最後に分けてもらえれば、俺達はそれでいいからさあ。ハチルが必死になればなるほど、俺はわざとらしい笑顔で彼に向かって微笑んだ。バイバイとチャーミングにハチルに手を降ってドアを閉めれば、途端に大人しくしていたキッシュが俺を振り返って涙声で言う。
「ハチルちゃん晩ごはんには来る?」
「いやァどうかな。あの顔見たろ。すっげー睨んでた。ちょっとからかっただけなのに」
「絶対呼んでよ、キャシーがイジメたんだから。今日はごちそうなんだから、ハチルちゃんも食べたら元気が出るんだから、呼んでよ、」
ハチルの前ではと我慢していたのか、急にうううっ、とわけのわからない嗚咽を漏らして呻きだしたキッシュに、俺はイジメてない、お前がイジメたんだと言いそうになって、そのとき漸くキッシュが泣きそうになっていることに気付く。またびいびい言うのかよ、と一瞬顔をしかめた俺だったが、ハチルちゃん想いの彼女の発言に気づいたら、なんだか泣くなというのもめんどくさくなった。
子供がめんどくさいのはいつの時代も同じだ。だけどキッシュは思った以上にクインに似ている。いつだってハチルちゃんハチルちゃんだ。なんでだ。これじゃアイツが帰ってきた途端に捨てられるお前のおもちゃが救われねえな、とそこまで考えて、俺は彼女を見つめた。そう。それこそが彼女たちの資質。いかにもモンスターらしい、凶暴でワガママな要求。いとも簡単に、次から次へと食い散らかして。
「呼んでやるよ」
涙で潤んだおっきなお目目を乱暴に指でぬぐって頬を摘めば、キッシュはブサイクな顔で俺を見上げた。
「お前ら姉妹はハチルに命令するの大好きだからな」
夕飯時、キッシュの「お魚」予想は外れた。
ハチルの思惑も外れた。
だがキッシュの望みは叶い、ハチルはディナーに引っ張りだされたし、
テロリストを黙らせるというクインの願いも叶い、平穏を望む俺の望みも叶った。
サイが運んできた大きな銀色の食器の蓋の下から、香ばしい匂いが立ち込める。
美味そう、と俺が思うその前に、キッシュが大喜びで椅子の上で立ち上がった。
「すごい! 美味しそう! これ何?」
「今日のディナーはピグミーのソテーです」
サイの言葉にハチルだけがぴくりと眉を動かしたが、ちらりと見やれば左隣のロムくんに無理矢理席に座らされ、ナプキンを付けられるキッシュの姿はまるで子供そのもの。だけど俺の予想通り彼女はやっぱりモンスターで、 彼が心配するほど、そしてお嬢が気にするほど、目の前に置かれた美味しいご飯に対して望まれる以上の反応は示さなかった。
「わーい! いただきま~す!!」
はあい、我が姫君。
どうぞ美味しく頂いちゃって下さい。
大人のレディーになるために、マナーとルールを守ってお楽しみ下さい。
心から愛した誰かを少しずつ味わうその甘美な魅力をどうぞ楽しんで。
これでキッシュのけたたましい笑い声をしばらく聞かずに済むだろう。 俺はまた平和な日々が戻ってきて、心からほっとする。 ハチルはやっぱり席をとっとと立って、それをみたクインが彼に続いて、一人ずつテーブルは賑を欠いていく。これが俺たちの日常。変わることのないループ。食いつぶしては次を見つけて、心から愛でては食い尽くして。 大好きなあの子を食べるのに夢中な小さな姫君は気づかない。 ああ、それでこそクインにふさわしい。
俺は食う前から笑いが止まらない。最高に楽しいディナーだ。
次期女王陛下に乾杯。天に召されたリヴリーに愛を。
キッシュちゃんのお気に入りは、どんな味がするかな。
「いただきまァす」