俺とは違う生き物

「俺がヤってるばっかりの男みたいに言うなよ」

ハチルさんが不満そうにそういうので、俺は笑いたくなりながら、ソファーに座っていた彼を見下ろした。
どこの浮気男がそんな口聞いてるんですか? ハチルさんは眉毛を一瞬下げたけど、黙って俺を睨みつける。

「好きな人と一緒にいるのに、何が悪いんだ」

自暴自棄なその口調、わかってるくせに、俺はうつむいた彼に愛しささえ感じてきてしまう。可愛い人だよな、アンタって。そう言ったらきっと怒られるからにこにこしておくだけで口は噤んでおいた。いくらヘタレ丸出しの発言をする浮気男とはいえこいつはモンスターだ。ふいに俺を睨むその瞳の奥に丁寧に隠された、本当の彼の怖さを忘れてはいけない。

「ハチルさんはそういう生き物なんスよ、きっと」

口元だけ笑って、彼の隣りに座りながらそう呟いた。だから、もういい加減諦めろよ。そう言いたくなってくるけど、俺だってわかってる。それができないのもハチルさんの悪いとこで、いいとこなのだ。どっちつかず。自分勝手。浮気男。誰を愛してるんだ、てめェ。彼を傷つけるための言葉はたくさん用意してるし、彼だってそう言われ続けて自覚してる。けど、彼は変わらない。変われないんだ。そしてそれは、彼のせいじゃない。もっと根本的な問題だ。俺には分かる。ハチルさん、アンタは苦しんでも苦しんでも解決できない問題を抱えてる、かわいそうな奴なんだ。だからアンタが必死で悩んでる姿は、たまらなくなるほど可愛い。

「ハチルさんが好きだって思う女はみんな、ハチルさんのことが好きなんですよ」

好きだから、浮気すると怒るし、悲しいんです。だけどアンタは忘れてる。好きだっていう思いをアンタは忘れる。

俺の言葉に首を傾げ、不愉快そうに目を細めたハチルさんの腕を掴んで、ソファーに引きずり倒す。驚いて目を見開いた彼に、俺はやっぱりゆるやかな絶望を覚える。ああやっぱり、わかってないんだ。こいつはそういう生き物だ。俺とは違う。当然のことだ。俺たちとは違う。

「そのうち俺たちも忘れるんでしょ、どこかにフラフラいったきり、二度と帰ってこなくなる」

いつもみたいに、そうでしょう。ハチルさんはますますわけがわからないみたいな顔をして、俺を見た。その顔で、きっと、いろんな人を騙してきた。アンタはいい人だから、気づかないまま。なんてやつだ。俺はがっかりだ。悲しいよ、ハチルさん。

「だから俺はアンタを覚えるのが嫌なんだ。優しくして、いい人ヅラして、まるで最初から出会わなかったみたいに俺たちを忘れるんだからな」

ソファーに倒れこんだハチルさんに覆いかぶさるような体制で、俺は彼に吐き捨てた。すぐそばで、ハチルさんの目が俺を見る。少し揺れて、また戻る。その緑色はとても綺麗で、俺はまたこいつを罵りたくなってくる。

「そんなことないよ。俺はそんなふうに思ったことなんか、一度もない」

怒ったのか、ハチルさんは荒っぽい口調で、俺を押しのけながらそう言った。俺がため息を付いて彼を見ると、彼は怒ったわけじゃなく、どうしていいのかわからない様子だった。子供かよ、と俺は思う。スネんなよ。俺はアンタが好きなんだから。

「でもねハチルさん。アンタの行動は単純に、そういう風に見えるんですよ」

優しい口調でそういえば、今度はハチルさんがため息を付いてソファーの背もたれに背中を預け、上を向いた。

「それに、ハチルさんはそういう生き物なんですって」

アンタは俺たちと違う生き物だから、わからないだけなんですよ。それは当然といえば当然のことだ。考えれば当たり前で、自然とわかること。彼はモンスターだから、傷つけるのは仕方ない。たった一言、それだけで片付く話。でも彼は、そういうことすらわかっていない。彼自身がもともとリヴリーに近すぎるせいで自覚がないのか、リヴリーに近づきたいと思うあまり無意識に自覚を薄めているのか、そんなことはどっちでもいいけど。横を見れば、ハチルさんはなぜか悲しそうな顔をして天井を見つめていた。だから俺は、やっぱりこの人はモンスターでいたくないんだな、と思う。

だから俺は動かないハチルさんにそっと顔を寄せて、耳元に囁いた。
大丈夫ですよ。それでいいんだから。
彼は黙って、ゆっくりと俺を見た。

「アンタはさァ、そのままが一番魅力的だよ、ハチルさん」

悩み苦しむアンタを、いろんな人が好きになった。そばにいて、助けてやりたいと思った。だけどそれはまたアンタの悩みを増やすだけで、解決どころか助けにもならなかった。一時の癒やしだけ。そしてまたアンタは苦しんだ。苦しんで、助かりたくて、他の女に手を出した。その女は、自分ならアンタを救えると思った。以下エンドレス。繰り返し繰り返し。かわいそうなハチルさん。アンタを救うことなんて、誰にもできない。そうきっと、あの少年にも、だ。彼はそれを、わかっているはずなのに。

ハチルさんを愛しいと思う。不器用で、弱くて、無様だ。俺はそんな彼を愛しいと思う。シシーに思うのとはもちろん別だけど、確かにそう思うのだ。だからわかるよ、ハチルさん。「それ」は、仕方のない事だ。アンタがハマって抜け出せないその環の中に、きっと俺もハマりかけている。だから俺は、アンタを愛さない。アンタを愛せばどうなるか、俺にはわかるから。

その口には凶暴な歯があることを俺は知っている。アンタがとてもきれいな顔をしていても、中身はバケモノであることを俺は知っている。アンタがそのバケモノを飼いならせず苦しむことも知っている。ハチルさん。だから俺はすぐそばまで顔を近づけておきながら、彼にキスはしなかった。

「今だけっスよ。きっと俺アンタのことすぐ嫌いになる」

ハチルさんは笑った。笑って言った。それでいいよ。
優しい彼は、それきり何も言わなかった。