ユニコーンを捕まえると息を巻いて、朝から鯉壱は虫取り網を振り回している。夢の中でお告げがあり、虹をかけることのできる生き物と出会ったそうだ。目の前で虹ができるところを見たい、と彼はしきりに主張し、その報酬にクッキー30枚を渡す用意がある、と俺に宣言した。
「アイスクリームを餌にしようと思ってる」と、真剣な顔で言いながら、鯉壱は捕獲作戦を開始した。溶け出したアイスを舐めながら、池の周りを歩くのだ。「甘い匂いに誘われて来るかもしれないからね。雫をこうやって地面に少しずつ垂らしてるんだよ」。俺は張り切る鯉壱の少し後ろを着いて行きながら、彼が口の周りを舐めては美味しい!と小躍りしているのを眺めた。
顔を上げれば空は青く高くて、気持ちのいい夏の日だった。池を渡る風を浴びていると、何もかもどうでもよくなる。ただあたりを意味もなく散策する理由として、いるのかどうかわからない生き物を探してみようという気にもなる。俺は鯉壱がアイスを舐めながらずんずん歩いていくのを追いかけながら、彼に尋ねた。
「一応聞くけど、ユニコーンって、あのユニコーン? おとぎ話に出てくる、角が生えてる白馬?」
「そうだよ。uni、cornで一角獣だよ」
「…これも一応聞くけど…そんなので捕まえられるわけ?」
鯉壱が振りかざしている虫取り網を指すと、彼は一瞬だけそれを見つめた後、うんと元気よく頷いた。大丈夫。アイスがあれば大人しいんだ。それに、まずはお友達からだよ。
俺の質問に、鯉壱は迷いもせず、揚々と答える。どこから得た情報なのかは知らないが、その姿がいたく楽しそうなので、それ以上深くは突っ込まないことにした。鯉壱がどこまで本気なのか分からないのはいつものことだ。鯉壱だって角と尻尾を持つ生き物なんだし、角を持つ馬だってその辺の草むらに普通にいるのかも。百歩譲って本当に存在していたところで、俺はお友達になれるとは思えないが、まあ、鯉壱が楽しそうならそれでいい。
鯉壱はアイスをたまにひっくり返してはポタポタと白い雫を垂らして、森の中を彷徨うヘンゼルとグレーテルさながらに慎重に歩いた。せっかくのその努力を無駄にしないよう、俺も白い道しるべを避けて歩く。避けたところで、そのハイカロリーなご馳走は蟻の餌になるだけだろうが、鯉壱の真剣さはそういうことを俺に言わせない雰囲気があった。
「しっ! 静かに!」
尻尾を揺らしながら歩いていた鯉壱が、急にピタリと立ち止まってしゃがみこんだ。俺は空を見上げていたので、危うく彼の丸まった背中を蹴り飛ばすところだったが、間一髪で避けた。
ユニコーンって地面にいるの? と間抜けな声を上げる前に、鯉壱が俺を振り向く。
「セミ!!」
叫ぶなり鯉壱は土の上から拾い上げたそれを俺の服にひっかけて、また何事もなかったかのように歩きだした。俺はあまりに突然の出来事に驚いて固まっていたが、そのうち何が起きたかを理解して、それでも腹の上にしがみついている虫を引き剥がすのにちょっと苦労した。
6本の足と透明な羽。あまりまじまじと見る機会はなかった気がするが、こう唐突に現れられても困るな。鯉壱は虫が苦手なんじゃなかったっけ。セミは大丈夫なんだ。意外と怖い顔してるのに、とぼやいたら、スズメバチも顔怖いけどね、と笑われた。
鯉壱は虫取り網を杖の代わりみたいに地面に突き立てながら歩いていたが、虫かごは持ってきていないようだ。俺は鯉壱が俺にそうしたように、鯉壱の背中にそうっと透明な羽を引っ掛けた。セミはワシワシと力強く足を踏ん張りながら、鯉壱の小さな背中に捕まった。
「ユニコーンも、見つけたら俺にひっつけるの?」
「できそうだったらそうしてあげる」
小さなマダラカガは笑いながらそう言って、でも、蹄だから服にはくっつけられないかも。抱っこして帰らないと、とのんびりそう言った。結構ちいさい想定だな。鯉壱が思い描いているのは、子供のユニコーンかもしれない。
しばらく歩くと、そのうち池をぐるっと一周した。最初に鯉壱が落としたであろうアイスのかけらは、思った通り黒山の「アリだかり」になっていた。
鯉壱はペース配分を間違えたのか、もともとそのつもりだったのか、とにかくとっくにアイスをすべて食べ切ってしまっていたので、後半はただ歩いているだけだったが、その間にも度々立ち止まっては何かを見つけ、拾えそうなものは拾いあげて、ハンカチに包んでいた。それはシロツメクサの花だったり、木の枝だったり、謎の紙切れだったり、変な形の葉だったり、キラキラした小石だったりしたが、特に鯉壱はそういうものを集めて庭の横にある祭壇に持っていくのが好きだった。
手のひらに収まるくらいのお土産を持って鯉壱は帰宅し、蟻の群がるアイスのかけらに興味を示すこともなく、とっとと庭のパラソルの下にある椅子に座って収穫物を小さなテーブルに広げた。
「水槽の底にはいろんなものが集まって来るんだよ。水槽の底って言うくらいだから、どっかから落っこちてきたものが、勝手にここへたどり着いてるんだと思うけど」
マダラカガはそう言ってハンカチを広げると、一つ一つ、獲物を丁寧につまみ上げながら調べ始める。なんとなく最後まで着いて回ってしまった俺も、ユニコーンは、と思いながらも黙って鯉壱の隣の椅子へ座った。鯉壱を見れば、俺がこっそり背中にくっつけ返しておいたセミが角の上までよじ登ってきていた。
「必ず落っこちてきたものなわけ? 水槽の”底”だから?」
「そう。僕が名前をつけたんだから、まちがいないよ」
自信にあふれた顔で、彼はそう言った。俺はそれを頬杖をついて見ていて、相変わらず言ってることはよくわからねえけど、まあいっかと自分を納得させた。何で知ったのかは知らないが、ユニコーンを捕まえようと言い出すだけでも鯉壱のネジの飛びっぷりは相当だ。変な奴だと思う自分がいるのも確かだが、いまさら突っ込んで否定するのもかわいそうだと思う自分もいる。ここが水槽の底なら、最初にたった一人で沈んできたのは、紛れもなく彼自身なのだから。
セミが鯉壱の角の先端までたどり着く。てっぺんまで行ったら飛ぶかな。鯉壱がシロツメクサの花びらの枚数をちぎって数えだしたとき、俺はぼんやりそう思った。あの透明な羽で、短い夏を謳歌するだろう。彼らの世界で、彼らなりの生き方で。
「なんで水辺のほとりに一輪だけ咲いてたんだと思う? 普通は群生してるよね。僕の知り合いに、植物に詳しい人がいるんだ。聞いたら教えてくれるかも」
彼が花をむしるのに夢中になっている間に、セミは鳴きもせずに空へ飛び立った。
あ、と俺が口を開けた直後、鯉壱の背中越しの池の上に、大きな水柱が上がる。バシャン!!っと大きな音が響き、驚いた鯉壱は椅子に座ったまま、数センチ飛び上がった。俺は鯉壱が池を振り向くより早く立ち上がって音の先を見る。魚が跳ねたにしては音が重たかった。人間一人落っこちたような派手な水しぶきが、今も向こうの方でばしゃばしゃと豪快に暴れている。反射的に鯉壱を背中に庇おうと前に出る。波紋が大きく揺れながら岸まで届いているが、暴れまくっているのかよく見えない。
何か落ちたのか。しかも溺れてるみたいだ。とっさに俺は鯉壱を見た。鯉壱は泳ぐのが得意だ、だが行かせたくはない。まだ何が落ちたのか分からない。モンスターだったらどうする。鯉壱がさっきのアイスクリームみたいにもぐもぐ食べられるなんてこの俺が絶対にさせないが、万が一怪我の一つでもするような目にあったら。一瞬不安がちらついて、無意識のうちに動きが鈍ったかもしれない。ここで待ってろと語気を強めに言いかけた時にはもう、鯉壱はマダラカガ の素早さでまさに鉄砲玉のように飛び出し、俺を押しのけて池に近づこうとしていた。慌てて腰を掴んで引き止めて、魚のように身を乗り出す鯉壱を抑え込む。
「ユニコーンが来たの?!」
この期に及んで発せられる嬉しそうな声に、んなわけねえだろ、と口走る。すぐさま鯉壱が叫んだので、俺はますます警戒して顔を上げた。視線をあげると、溺れている生き物が人間ではないことがわかった。
池の中で溺れていたのは角の生えた、白い馬だった。ああそうだ、一本まっすぐキレイに伸びた、角を持つ白馬。腕の中で、鯉壱が歓喜の悲鳴をあげる。
そう、ユニコーンが獲れたのだ。