リンクラベル...
生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ
国立新美術館でやってたので行きました
お洋服のデザインはやっぱりどれもかわいいし素敵だった。ボリュームたっぷりで大満足…。
映画衣装のコーナーも興味深かったし、ドレス以外にもファッション通信とか、森ビルの設計図とかの展示もあって面白かった。TV番組もあったんだね! メディアへの意識がめちゃくちゃ高くてすごい…。製品の露出っていうよりは、どんな回路を通ってもファッションへの愛や楽しさを伝えたい、みたいな気持ちを感じてじ〜んとした。ヴァイタルタイプの名前からもニュアンスを感じ取れる通り、森英恵さんってものすごく精力的で活動的な人だったんだなあ…。戦後の人って、ほんとすごい…。
#感想 ▲CLOSE
生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ
国立新美術館でやってたので行きました
お洋服のデザインはやっぱりどれもかわいいし素敵だった。ボリュームたっぷりで大満足…。
映画衣装のコーナーも興味深かったし、ドレス以外にもファッション通信とか、森ビルの設計図とかの展示もあって面白かった。TV番組もあったんだね! メディアへの意識がめちゃくちゃ高くてすごい…。製品の露出っていうよりは、どんな回路を通ってもファッションへの愛や楽しさを伝えたい、みたいな気持ちを感じてじ〜んとした。ヴァイタルタイプの名前からもニュアンスを感じ取れる通り、森英恵さんってものすごく精力的で活動的な人だったんだなあ…。戦後の人って、ほんとすごい…。
#感想 ▲CLOSE
6月からは、脚本を書く時間が増える予定。いままでやってた合評会(読む練習)と、執筆会(短時間で書き切る練習)に加えて、書くための時間やリズムを作る練習のために、新たなコミュニティに参加する。大丈夫かなあの不安が8割、嫌だけど頑張るか…の気持ちが2割。
そういう未来への不安もあって、さいきん、創作に向き合おうとすると、1回他のこともやろうよ、とでもいうみたいに体が運動したがるようになった。今まで運動なんて好きじゃなかったのに。ダンスの他にも、最近は2週に1回くらいは山に登っている。
むかし山登りで気持ち悪くなった経験もあって、登山は全く好きじゃなかった。でも改めてやってみると、自分は登る体力がないわけじゃなくて、ただ標高差が苦手な部類みたい。登り始めさえゆっくり動けば、体が慣れて、そんなにしんどくないってことがわかってきた。頂上付近が一番元気まである。一番しんどいのは、下りの中盤。疲れて、お腹も空いているのに、登りよりも注意力が必要。雑に足を下ろすと、怪我しそうになる。だからとっておきのおやつをここで食べて、やる気を補充する。
学生時代、登山部の子に「なんで山なんか登るの?」と聞いたことがある。彼女は「山があるから」みたいなことを言っていて、わけわかんねーなと思った。山登りは苦しくてしんどい、と彼女はいう。楽しいから登るわけじゃない。
楽しくないのになんでやるの?とあの時の自分は思った。今の自分が、なんでだろう、と答える。無理やり探すなら、「できなかったことができた」という実感を得るのが嬉しいからだと思う。言葉にするとふつうのことだ。でも、たぶん達成感とは少し違う。これは、ああ、わたし、できるんだ、っていう安堵だ。できたんだ、っていう、あったかくてじんわりするような喜び。普通じゃない。今までの自分と少しだけ違う自分になれたことが、こんなふうに嬉しい。疲れ果てた体に満ちる、あの気持ちを味わうために、山に登る。
私は登山が嫌いだった。登り方がわからなくて、みんなのペースに合わせなきゃと思って必死に登って、具合が悪くなって、迷惑かけたくなくて言い出せなくて、結局気づかれて、優しくされて、惨めになって、みんなは平気そうなのに、できない自分が恥ずかしくて、嫌になって、悲しかったから。
登り方がわかって、自分のペースで登ればいいとか、おやつはここで食べたらいいとか、自分で自分の苦しみを対処できるようになると、「登山は嫌い」と思う気持ちはずいぶん減った。「夏になる前の涼しい頃の初心者用の山に、自分のペースでなら登れる」になった。
創作の、「書けない」「嫌だ」っていうきもちも変えたい。不安のあまり、ついつい、書けないならやめろとか、そんなのやってるのは無駄とか、思ってしまいそうになるけど、今の自分の中にちゃんとあるできる部分を引っ張ってきたい。「誰かと一緒に集中すれば、10分シナリオは書ける」とか、「読みながら作者の意図を想像できる」とか。
できないわけじゃなくて、「条件付きで」ならできる。だから、ちょっとずつ登って、苦しくなったら降りよう。また登りだすときに、こうしたらいいかもって少しずつ対処して、そうしながら自分のペースで頂上をめざそう。
8月は、二度と登らないと泣きながら思った富士山にもう一度登ることになった。大丈夫かなあの不安が8割、嫌だけど頑張るか…の気持ちが2割…。でも、できたら嬉しいな、の気持ちがあるから、登山も創作も、のんびりやる。
▲CLOSE
いない間に絵文字ありがとうございました!
山登りで見かけた子供たちの話も、あとで書いておきたいな〜。
そういう未来への不安もあって、さいきん、創作に向き合おうとすると、1回他のこともやろうよ、とでもいうみたいに体が運動したがるようになった。今まで運動なんて好きじゃなかったのに。ダンスの他にも、最近は2週に1回くらいは山に登っている。
むかし山登りで気持ち悪くなった経験もあって、登山は全く好きじゃなかった。でも改めてやってみると、自分は登る体力がないわけじゃなくて、ただ標高差が苦手な部類みたい。登り始めさえゆっくり動けば、体が慣れて、そんなにしんどくないってことがわかってきた。頂上付近が一番元気まである。一番しんどいのは、下りの中盤。疲れて、お腹も空いているのに、登りよりも注意力が必要。雑に足を下ろすと、怪我しそうになる。だからとっておきのおやつをここで食べて、やる気を補充する。
学生時代、登山部の子に「なんで山なんか登るの?」と聞いたことがある。彼女は「山があるから」みたいなことを言っていて、わけわかんねーなと思った。山登りは苦しくてしんどい、と彼女はいう。楽しいから登るわけじゃない。
楽しくないのになんでやるの?とあの時の自分は思った。今の自分が、なんでだろう、と答える。無理やり探すなら、「できなかったことができた」という実感を得るのが嬉しいからだと思う。言葉にするとふつうのことだ。でも、たぶん達成感とは少し違う。これは、ああ、わたし、できるんだ、っていう安堵だ。できたんだ、っていう、あったかくてじんわりするような喜び。普通じゃない。今までの自分と少しだけ違う自分になれたことが、こんなふうに嬉しい。疲れ果てた体に満ちる、あの気持ちを味わうために、山に登る。
私は登山が嫌いだった。登り方がわからなくて、みんなのペースに合わせなきゃと思って必死に登って、具合が悪くなって、迷惑かけたくなくて言い出せなくて、結局気づかれて、優しくされて、惨めになって、みんなは平気そうなのに、できない自分が恥ずかしくて、嫌になって、悲しかったから。
登り方がわかって、自分のペースで登ればいいとか、おやつはここで食べたらいいとか、自分で自分の苦しみを対処できるようになると、「登山は嫌い」と思う気持ちはずいぶん減った。「夏になる前の涼しい頃の初心者用の山に、自分のペースでなら登れる」になった。
創作の、「書けない」「嫌だ」っていうきもちも変えたい。不安のあまり、ついつい、書けないならやめろとか、そんなのやってるのは無駄とか、思ってしまいそうになるけど、今の自分の中にちゃんとあるできる部分を引っ張ってきたい。「誰かと一緒に集中すれば、10分シナリオは書ける」とか、「読みながら作者の意図を想像できる」とか。
できないわけじゃなくて、「条件付きで」ならできる。だから、ちょっとずつ登って、苦しくなったら降りよう。また登りだすときに、こうしたらいいかもって少しずつ対処して、そうしながら自分のペースで頂上をめざそう。
8月は、二度と登らないと泣きながら思った富士山にもう一度登ることになった。大丈夫かなあの不安が8割、嫌だけど頑張るか…の気持ちが2割…。でも、できたら嬉しいな、の気持ちがあるから、登山も創作も、のんびりやる。
▲CLOSE
いない間に絵文字ありがとうございました!
山登りで見かけた子供たちの話も、あとで書いておきたいな〜。
『サンキュー、チャック』(2024)みてきた
好きな映画だった…でも一応ミステリーになっているっぽいので、予告とか見ない方が良さそう… 。事前情報なしで映画館に行こう。感動できる方のスティーブン・キングだと思っておけばいいね…!!
ありとあらゆることが絶妙なバランスでなりたっていてよかった。最近、数年ぶりにダンス再開した復帰勢としては、胸にグッとくるダンスシーンもたくさんあって、最後のシーンの余韻もここちよかった…。
見終わった後に自然と心が物語のはじまりに戻れる。最初はちょっと不気味な感じもあって怖いかもしれないけど…見終わったらこれもチャックが経験した不安、怖さなのかもしれないと思える…。一見複雑だけど、優しく循環しているような感じでよかった。
好きな子供映画の一つに入れようかな…。子供映画でいいよね…? 人生映画っていうか…。
チャックは一見すると悲劇的な人生だけど、でも自分では悲しい人生だったって思ってないし、作品もそういうふうには描いてないよね…。大きな事件はないし、不思議なアイテムが出てくるけど劇的に作用するわけでもない…。素敵な音楽にリードされるように、不安や恐怖を乗り越えながら進んでいく……。そして振り返って、人生って美しいなって自分に言ってあげるっていう…。大人になるってそういうことなのかもしれないですね…。しみじみといい作品でした…。
予告
#感想 #映画
▲CLOSE
好きな映画だった…でも一応ミステリーになっているっぽいので、予告とか見ない方が良さそう… 。事前情報なしで映画館に行こう。感動できる方のスティーブン・キングだと思っておけばいいね…!!
ありとあらゆることが絶妙なバランスでなりたっていてよかった。最近、数年ぶりにダンス再開した復帰勢としては、胸にグッとくるダンスシーンもたくさんあって、最後のシーンの余韻もここちよかった…。
見終わった後に自然と心が物語のはじまりに戻れる。最初はちょっと不気味な感じもあって怖いかもしれないけど…見終わったらこれもチャックが経験した不安、怖さなのかもしれないと思える…。一見複雑だけど、優しく循環しているような感じでよかった。
好きな子供映画の一つに入れようかな…。子供映画でいいよね…? 人生映画っていうか…。
チャックは一見すると悲劇的な人生だけど、でも自分では悲しい人生だったって思ってないし、作品もそういうふうには描いてないよね…。大きな事件はないし、不思議なアイテムが出てくるけど劇的に作用するわけでもない…。素敵な音楽にリードされるように、不安や恐怖を乗り越えながら進んでいく……。そして振り返って、人生って美しいなって自分に言ってあげるっていう…。大人になるってそういうことなのかもしれないですね…。しみじみといい作品でした…。
予告
#感想 #映画
▲CLOSE
筑波山に登ったよ⛰️
筑波山は、私が体力ゼロで初めて富士山に挑むことになった時、練習で登らされた最初の山…! あのときはわけもわからず登り始め、チームについていくのに必死で、自分のペースで歩くことも優先できなくて、展望台に着くなり吐いたという苦い記憶があります。
改めて富士山にリベンジすることになったので、定石通り、練習しに行きました。でも今回はのんびりペースを守って登って、無事に山頂まで元気に行けたよ✌️
(この記事は、407のあとに書かれて、しれっと追加されました)
人が多い!
さすが有名な筑波山。上からも下からも人が途切れることのない賑やかな登山道。行楽シーズンだったこともあってか、お子さん連れの家族がとても多かったです。ちいさなリュックを自ら背負っている子もいてすごかった。
通り過ぎるたびにきちんと挨拶してくれて、そのたびにこちらもちょっと元気が出る。もちろん家族連れに限らず、ベテランぽい人から、ゲームキャラのぬいぐるみをリュックにぶら下げてるお兄さんたちまで、いろんな人が挨拶してくれる。こんにちは、おつかれさま、がんばって。山の人たちはやさしい。しんどいのを知っているからね。
ゆっくり行こう
少し蒸し暑かったし、緊張もしていたけど、登り始めの胸のドキドキは、ゆっくり足を動かしているうちになくなった。ああ、これを無視して登ったなあ。昔の記憶が蘇って、ちょっと指先が冷えるような感覚になってくる。あのとき私は、怖さとか、緊張とか、動悸や息切れも、全部振り切ろうとしたんだよなあ。
実は私が筑波山に初めて登ったのは、新卒で入った会社の新入社員研修の一環だった。参加は任意だったけど、会社から弱いやつと思われたくなくて、人事の人をがっかりさせたくなくて、私は恐怖から「参加します」と返事した。そして登っている間も、同期から置いていかれたくなくて、みんなについて行きたくて、怖くて怖くて必死に登った。
今はちがう。そんなに無理しなくたってよかったんだよな、って思える。山は無理して登るものじゃない。誰かと競争することでもない。そういうふうに教えてくれる人が昔の私にいたらよかったけど、でもいても当時の私は聞かなかったかもしれないな。今は自分が自分に言ってあげられる。自分も聞く耳を持てる。その点は、あの日から成長したと言えると思う。
今回の同行者2人は私と同じく登山初心者だった。でも、ゆっくり歩く私より全然余裕そう。今の私なら、どんどん登っていこうとする2人にあえて強く言える。「最初はゆっくりすぎるくらいがちょうどいいの!」
877mを侮るな
筑波山は百名山の中で一番低い山だけど、私たちが選んだ御幸ヶ原コースには大きな石もごろごろあって、なかなかワイルドな山道。同行者たちはあっという間に疲弊して、「こんなんだと思ってなかった」と、水をガブガブ飲み、「あとどれくらい?」「半分くらいは来た?」と口々に呟く。私は記憶が曖昧なまま地図を見る。こんなだったっけ、こんなだったかも? もう覚えてないよ。最後にたくさん階段があった気がする。すごい長い階段を上り切って、景色が開けるんだよ。
その記憶だけは正しい自信があった。階段の一歩一歩をすがるような気持ちで登って、最後の一段を上がって広い空を見た時に、緊張が緩んで吐いたのだから…。
ところで筑波山は、ロープウェイでも登れる。頂上付近の駅のまわりにはご飯を食べられる場所もある。やっとの思いで辿り着いて、景色を拝もうと顔を上げたら、ものすごい人の数で若干引いた。登る体力に自信がない人はロープウェイを使っている。それも一つの選択。あと犬もいた。ロープウェイで来たのだろう。疲れている時に見る犬、めちゃかわいくてうれしい。
無事に辿り着けたことを喜んで、3人でうどんを食べた。最悪の気分だった前回と違って、今回はおいしいものも食べられる。その余裕が嬉しかった。嫌な記憶を塗り替えた。自分の力で…。そう思うとほっとして力が抜ける。しかし、実のところ、筑波山の山頂はもう少し上にある。
怪我人と見学者
お腹を満たして、さあもうひと頑張り、となったところで、同行者が小さな段差に躓いて転んでしまった。膝を擦りむいて血が滲んでいる。長ズボンを履いていたけど、地面がコンクリートだったので削れてしまったらしい。岩場で倒れなくてよかったよ…と慰めながら、ティッシュで押さえて、絆創膏を貼った。怪我人は、転んで膝を擦りむくなんて子供のとき以来らしく、ショックを受けて動揺していた。その姿が、その昔、吐いて優しくされて余計惨めな気持ちになった自分と重なる。かわいそうに…。
手当てが済み、立ちあがろうとした時、隣に小さな女の子が立っているのに気がついた。小屋の脇の、すこしひらけた場所だったので、他の子と近くで遊んでいたのだろう。そこに大人が喚いて転がったのを目撃し、何事だろうと近くまで見に来たらしい。何にも言わず、固唾を飲んで、転んだ大人の膝を凝視していた。その目のあまりのまんまるさに、深刻なムードも忘れてちょっと吹き出しそうになる。
そのひと、どうしたの?大丈夫?と思ったけど、大人相手には咄嗟に言えなかったのかもしれない。それか、言おうとしたけど、大人が転んで痛がり、血を流す姿を見てショックだったのかもしれない。とにかくその子は怪我人が気になって気になって、吸い寄せられてきちゃったのだ。
「見ちゃダメ!」と声がして、姉らしき子が走ってくる。そして妹の手を乱暴に掴んで、引っ張った。引っ張られた子がよろける。しかしそのつぶらな瞳は、いまだ膝の絆創膏に釘付けだ。なぜかこちらが慌ててしまって、説明のように呟いた。「心配してくれたんだよね、ありがとう、もう大丈夫だよ。ちゃんと手当したからね。じゃあ、立てる?」そう言って、まだ座ったままの怪我人をすがるような気持ちで見る。子供たちもおそらく彼女を見た。「ううん」と、まだ動揺している彼女はそう言った。「まだ手が痛いから無理」。そのあとも、しばらく3人で怪我人を見守った。
がんばったご褒美!
筑波山の山頂は二つある。男体山と女体山、それぞれの山頂だ。怪我人が発生したので、あともう少しだけ頑張って、近い方の女体山に登り、帰りはロープウェイで下ることにした。初回にしては十分頑張った。本番は富士山で、今回はその練習だから、別に完璧な軍行でなくたっていい。
女体山の山頂には、神社がある。その裏手に岩が迫り出していて、そこに山頂の看板も立っている。岩の上に立ってみると、景色が最高だった。太陽に照らされ、鏡のように光を反射する水田が一面に広がっていた。
前にも見たことがある、と思った。当時の私は吐きながら、それでもみんなに置いていかれまいと、山頂まで這い上がったのだろう。忘れてた。ロープウェイの駅までだと思ってた。でも、今回の方が、前来たときよりずっと綺麗だ、と思った。
楽しく登れたのは、仲間たちのおかげだ。そしてあのときのリベンジをするか、と決意した過去の私のおかげ。来てよかった、と思った。
さて、ロープウェイには最終便の時間というものがある。大抵16:30とか、17:00くらい。いつまでものんびりしてはいられない。登りより時間はかからないとは言え、下りは登り以上に足を置く場所に神経を使うし、今回は怪我人もいる。ゆっくり、しかし丁寧に、時間に間に合うように急いで下山する。内心怖かった。ギリギリだった。(朝の)出発が遅い。学びを得ました。
ロープウェイに乗って一安心。思ったよりきつかったね、と笑い合いながら、温泉にもちゃっかり寄ってから帰った。
次の日からもう体がバキバキだったけど、怪我した同行者が丁寧に揉んでくれました。すぐ治った。ありがとう。やはり山は精神の修行。一緒に行く人が大事。
#感想 #⛰️▲CLOSE
筑波山は、私が体力ゼロで初めて富士山に挑むことになった時、練習で登らされた最初の山…! あのときはわけもわからず登り始め、チームについていくのに必死で、自分のペースで歩くことも優先できなくて、展望台に着くなり吐いたという苦い記憶があります。
改めて富士山にリベンジすることになったので、定石通り、練習しに行きました。でも今回はのんびりペースを守って登って、無事に山頂まで元気に行けたよ✌️
(この記事は、407のあとに書かれて、しれっと追加されました)
人が多い!
さすが有名な筑波山。上からも下からも人が途切れることのない賑やかな登山道。行楽シーズンだったこともあってか、お子さん連れの家族がとても多かったです。ちいさなリュックを自ら背負っている子もいてすごかった。
通り過ぎるたびにきちんと挨拶してくれて、そのたびにこちらもちょっと元気が出る。もちろん家族連れに限らず、ベテランぽい人から、ゲームキャラのぬいぐるみをリュックにぶら下げてるお兄さんたちまで、いろんな人が挨拶してくれる。こんにちは、おつかれさま、がんばって。山の人たちはやさしい。しんどいのを知っているからね。
ゆっくり行こう
少し蒸し暑かったし、緊張もしていたけど、登り始めの胸のドキドキは、ゆっくり足を動かしているうちになくなった。ああ、これを無視して登ったなあ。昔の記憶が蘇って、ちょっと指先が冷えるような感覚になってくる。あのとき私は、怖さとか、緊張とか、動悸や息切れも、全部振り切ろうとしたんだよなあ。
実は私が筑波山に初めて登ったのは、新卒で入った会社の新入社員研修の一環だった。参加は任意だったけど、会社から弱いやつと思われたくなくて、人事の人をがっかりさせたくなくて、私は恐怖から「参加します」と返事した。そして登っている間も、同期から置いていかれたくなくて、みんなについて行きたくて、怖くて怖くて必死に登った。
今はちがう。そんなに無理しなくたってよかったんだよな、って思える。山は無理して登るものじゃない。誰かと競争することでもない。そういうふうに教えてくれる人が昔の私にいたらよかったけど、でもいても当時の私は聞かなかったかもしれないな。今は自分が自分に言ってあげられる。自分も聞く耳を持てる。その点は、あの日から成長したと言えると思う。
今回の同行者2人は私と同じく登山初心者だった。でも、ゆっくり歩く私より全然余裕そう。今の私なら、どんどん登っていこうとする2人にあえて強く言える。「最初はゆっくりすぎるくらいがちょうどいいの!」
877mを侮るな
筑波山は百名山の中で一番低い山だけど、私たちが選んだ御幸ヶ原コースには大きな石もごろごろあって、なかなかワイルドな山道。同行者たちはあっという間に疲弊して、「こんなんだと思ってなかった」と、水をガブガブ飲み、「あとどれくらい?」「半分くらいは来た?」と口々に呟く。私は記憶が曖昧なまま地図を見る。こんなだったっけ、こんなだったかも? もう覚えてないよ。最後にたくさん階段があった気がする。すごい長い階段を上り切って、景色が開けるんだよ。
その記憶だけは正しい自信があった。階段の一歩一歩をすがるような気持ちで登って、最後の一段を上がって広い空を見た時に、緊張が緩んで吐いたのだから…。
ところで筑波山は、ロープウェイでも登れる。頂上付近の駅のまわりにはご飯を食べられる場所もある。やっとの思いで辿り着いて、景色を拝もうと顔を上げたら、ものすごい人の数で若干引いた。登る体力に自信がない人はロープウェイを使っている。それも一つの選択。あと犬もいた。ロープウェイで来たのだろう。疲れている時に見る犬、めちゃかわいくてうれしい。
無事に辿り着けたことを喜んで、3人でうどんを食べた。最悪の気分だった前回と違って、今回はおいしいものも食べられる。その余裕が嬉しかった。嫌な記憶を塗り替えた。自分の力で…。そう思うとほっとして力が抜ける。しかし、実のところ、筑波山の山頂はもう少し上にある。
怪我人と見学者
お腹を満たして、さあもうひと頑張り、となったところで、同行者が小さな段差に躓いて転んでしまった。膝を擦りむいて血が滲んでいる。長ズボンを履いていたけど、地面がコンクリートだったので削れてしまったらしい。岩場で倒れなくてよかったよ…と慰めながら、ティッシュで押さえて、絆創膏を貼った。怪我人は、転んで膝を擦りむくなんて子供のとき以来らしく、ショックを受けて動揺していた。その姿が、その昔、吐いて優しくされて余計惨めな気持ちになった自分と重なる。かわいそうに…。
手当てが済み、立ちあがろうとした時、隣に小さな女の子が立っているのに気がついた。小屋の脇の、すこしひらけた場所だったので、他の子と近くで遊んでいたのだろう。そこに大人が喚いて転がったのを目撃し、何事だろうと近くまで見に来たらしい。何にも言わず、固唾を飲んで、転んだ大人の膝を凝視していた。その目のあまりのまんまるさに、深刻なムードも忘れてちょっと吹き出しそうになる。
そのひと、どうしたの?大丈夫?と思ったけど、大人相手には咄嗟に言えなかったのかもしれない。それか、言おうとしたけど、大人が転んで痛がり、血を流す姿を見てショックだったのかもしれない。とにかくその子は怪我人が気になって気になって、吸い寄せられてきちゃったのだ。
「見ちゃダメ!」と声がして、姉らしき子が走ってくる。そして妹の手を乱暴に掴んで、引っ張った。引っ張られた子がよろける。しかしそのつぶらな瞳は、いまだ膝の絆創膏に釘付けだ。なぜかこちらが慌ててしまって、説明のように呟いた。「心配してくれたんだよね、ありがとう、もう大丈夫だよ。ちゃんと手当したからね。じゃあ、立てる?」そう言って、まだ座ったままの怪我人をすがるような気持ちで見る。子供たちもおそらく彼女を見た。「ううん」と、まだ動揺している彼女はそう言った。「まだ手が痛いから無理」。そのあとも、しばらく3人で怪我人を見守った。
がんばったご褒美!
筑波山の山頂は二つある。男体山と女体山、それぞれの山頂だ。怪我人が発生したので、あともう少しだけ頑張って、近い方の女体山に登り、帰りはロープウェイで下ることにした。初回にしては十分頑張った。本番は富士山で、今回はその練習だから、別に完璧な軍行でなくたっていい。
女体山の山頂には、神社がある。その裏手に岩が迫り出していて、そこに山頂の看板も立っている。岩の上に立ってみると、景色が最高だった。太陽に照らされ、鏡のように光を反射する水田が一面に広がっていた。
前にも見たことがある、と思った。当時の私は吐きながら、それでもみんなに置いていかれまいと、山頂まで這い上がったのだろう。忘れてた。ロープウェイの駅までだと思ってた。でも、今回の方が、前来たときよりずっと綺麗だ、と思った。
楽しく登れたのは、仲間たちのおかげだ。そしてあのときのリベンジをするか、と決意した過去の私のおかげ。来てよかった、と思った。
さて、ロープウェイには最終便の時間というものがある。大抵16:30とか、17:00くらい。いつまでものんびりしてはいられない。登りより時間はかからないとは言え、下りは登り以上に足を置く場所に神経を使うし、今回は怪我人もいる。ゆっくり、しかし丁寧に、時間に間に合うように急いで下山する。内心怖かった。ギリギリだった。(朝の)出発が遅い。学びを得ました。
ロープウェイに乗って一安心。思ったよりきつかったね、と笑い合いながら、温泉にもちゃっかり寄ってから帰った。
次の日からもう体がバキバキだったけど、怪我した同行者が丁寧に揉んでくれました。すぐ治った。ありがとう。やはり山は精神の修行。一緒に行く人が大事。
#感想 #⛰️▲CLOSE
フェリーニの『道』(1954)みた
アマプラにきてる、し、5/10からは2週間限定配信 でyoutubeでも見れるよ。
みんな様子がおかしくて(特にジェルソミーナ)こわいよ〜っておもってたけど、見終わって今思うと、これってネオレアリズモの系譜のやつなのか? だから貧しさとか…現実に生きる人々とか…戦後のリアルみたいな…でも小石の話で喜んでるジェルソミーナの様子を見ているとなんかおとぎ話めいているような気配もある…。この綱渡りの人は現実の人間なんですか…? ザンパノいじめっぷりが常軌を逸してない…? ザンパノと過去になにがあったんだ…。
ザンパノの乱暴さや綱渡りの人の極端さを見せつけられると拒否反応が出そうになりつつ、でも同じキャラクターの中に存在している「共感できる部分」にすっと自然にフォーカスが当たっていく感じが、この映画のすごさだなあ…と思いました。
劇的なストーリーではないけど、むしろそれがちゃんと人間の話になっていることの面白さを味わえるし、事件的ストーリーではなく、情報モンタージュというか、そういう気配の運び方だったと感じる。もちろん演技の良さもあるんだろうな…。
フェリーニってなんとなくロマンティックというか、詩的なイメージがあって、ネオレアリズモはもっとハードなイメージがあったんだけど、見たところちょうど中間ぐらいの感じなのかな…。当然だけどハリウッドとは違う良さがあり、おしゃれだった。ぼんやりだけど、黒澤映画にも似てない? ファーストシーンとか…。同年代だからかな…。
#感想 #映画 ▲CLOSE
ひさびさにセットダンス(アイリッシュダンス)の練習会に行ったよ〜。コールとかステップとかほぼ忘れてた。でもすご〜く楽しかった。
セットダンスはワルツみたいにペアと踊るダンスなので、音楽に身を任せればある程度はペアにリードしてもらえる。しかし相手に頼り切っていると、ペアの人もコールを覚えてなかったりしてあたふたする。それ込みでアイリッシュセットは面白いんだよね…。そもそも各地域でいろんな固有の踊り方があったりとか、新しく増えたりして、ざっと数えても300種類ぐらいあるらしい。日本でいうところの夏祭りの盆踊りみたいな感じかな。もともとこの練習会もケーリー(ダンスパーティー)で踊るセットダンスの予習練習なので…みんな踊れないんだ。ケーリーは予習が大事!!
そしてこの「完璧じゃない2人が、踊れなくても踊る」ために、お互い身体性コミュニケーションをとっていく必要があり、これがめちゃくちゃ面白い。
ステップの距離感とか、手を握る時や手を背中に添える時の力の入れ具合とか、相手が次の動きをわかってなさそうだったら音楽よりちょっと先に動き出すとか…。気遣いあいながら、動きながらペアと感覚を合わせていく感じ。ケーリーならではで楽しい。踊りやすいと、相手が踊りやすくしてくれてるなあ〜っておもう。そしてせっかく息があっても、ダンスの途中でペアが変わったりする。さよなら〜。
その状況やルールを受け入れて言葉よりも速いレベルで相手に寄り添う、言語ではない形で相手を気遣いあう、そういう空間が成立すると、ある種の楽しさになっていくんだろうな…。
お話のこととか文字を追うばっかりの生活してると見失いがちだけど、こういう、純粋に楽しさだけでやることとか、言葉に頼らないコミュニケーションの良さとか、改めて確認するのもいいね。ケーリーに向けて頑張るぞ〜。▲CLOSE
セットダンスはワルツみたいにペアと踊るダンスなので、音楽に身を任せればある程度はペアにリードしてもらえる。しかし相手に頼り切っていると、ペアの人もコールを覚えてなかったりしてあたふたする。それ込みでアイリッシュセットは面白いんだよね…。そもそも各地域でいろんな固有の踊り方があったりとか、新しく増えたりして、ざっと数えても300種類ぐらいあるらしい。日本でいうところの夏祭りの盆踊りみたいな感じかな。もともとこの練習会もケーリー(ダンスパーティー)で踊るセットダンスの予習練習なので…みんな踊れないんだ。ケーリーは予習が大事!!
そしてこの「完璧じゃない2人が、踊れなくても踊る」ために、お互い身体性コミュニケーションをとっていく必要があり、これがめちゃくちゃ面白い。
ステップの距離感とか、手を握る時や手を背中に添える時の力の入れ具合とか、相手が次の動きをわかってなさそうだったら音楽よりちょっと先に動き出すとか…。気遣いあいながら、動きながらペアと感覚を合わせていく感じ。ケーリーならではで楽しい。踊りやすいと、相手が踊りやすくしてくれてるなあ〜っておもう。そしてせっかく息があっても、ダンスの途中でペアが変わったりする。さよなら〜。
その状況やルールを受け入れて言葉よりも速いレベルで相手に寄り添う、言語ではない形で相手を気遣いあう、そういう空間が成立すると、ある種の楽しさになっていくんだろうな…。
お話のこととか文字を追うばっかりの生活してると見失いがちだけど、こういう、純粋に楽しさだけでやることとか、言葉に頼らないコミュニケーションの良さとか、改めて確認するのもいいね。ケーリーに向けて頑張るぞ〜。▲CLOSE




ルールはよくわからない。でもDDTプロレスという団体のことは前々から友人にすごい勢いで聞かされていて、なんとなく、「なんか…プロレスの中でも寸劇やるみたいな…おもしろエンタメ集団なのかな…」というふうに思っていた。見てみたら、想像と全然ちがう! 味わったことないジャンルのエンタメだこれ!
寸劇というのはまあ間違ってないと思う。プロレス自体に演劇性があるという話は聞いたことがあったし、でもそれって勝負が最初から決まってるってこと?って思ってた。息を切らせて友達と落ち合って、席に座って、「写真撮影OKだよ、動画もいいし、SNSにも…」という怒涛の注意説明を聞きながら、
これは、ショー…。いや、でもスポーツのような迫力と真剣さもあって…かつうっすらと漂う連続ドラマみたいな雰囲気。え、うそ、いまメロドラマを食らった…?みたいな号泣の仕方をしてしまった…。え〜んキャラが強くて物語の気配が濃いエンタメ〜! 好き〜!
台風で、「電車の本数ないから、じゃあね!!」と風のように去っていく友達に、また誘って!!と強めにプッシュした。新参者の面白さはある。世界観やルールはまだよくわかんないけどこれおもしろいぞって胸の奥から湧き上がってくるようなきもち。プロレスの試合会場で体験したことは、冬季五輪が目に入った時の気持ちにも近いし、映画の冒頭5分にも近いし、skyで知らない言語を話す人々と会話する時にも近かった気がする。全部自分の中では繋がっている。それがわかるのが、いま、ぼんやり嬉しい。
#感想 ▲CLOSE