人が書いた脚本を読む会に参加しているんだけど、その合評会でよく「わかんない」ってなる 私は自分がせっかく書いた本を「わかんない」っておもわれるのがつらくて、わかんないのはよくないよな、と思っていた わかんない自分だめだなって でもさ〜 実はこの「わからなさ」って複数あるんじゃないか、って昨日気づいた たぶん4種類はある

①プロットとか脚本に書いてないので伝わらない
②それらしきことが書いてあるけど要領を得なくて理解できない
③明確に理解できるけど納得/同意できなくて感情移入できない
④書いてあるし理解できるし納得できるけど、なんかもやもやする


これは物語の精度の段階の話で、④に近づくほど物語が固まってる感じがする 「おもしろ〜い!」になるまで、複数のフィルターが存在しているんですね 文章の精度、構成、好み、みたいな… で、これ、文章を読んで「これはおもしろそうかも?」とジャッジできるのは②が半分くらいわかってからで、その「わかる」にも個人差がある 読み慣れている人は、「②で言いたいのはこういうことかな?」と推理する能力が高いことが多い で、おもしろい話を書く人はこの能力がある人が多い(体感)

私が「わかんない自分だめ」って思ってたのは、①〜④全部ひっくるめて、数学のテストに答えられないような気持ちになってたからだと思う 答えがわかんないお前は無能だよみたいな でもそもそも「わからなさ」の種類がばらばらなら、原因は別々に存在する とにかく分解すると、こういう感じだ

①情報が不足している
なので、読む側がどうこうできる問題じゃない

②読む側の推察力があれば解決することもある
でも基本は書く側の説明が必要そう(話が固まってないことが多いので)

③好みの問題
書いてる人が納得してるなら思想というか主義に賛同できるかどうかという好みの問題なんだ… どっちが良いとかじゃない これは変えようがない

④読む側に客観的な視点と分析力があればわかりそう
話が流れてないんじゃないか、主題が複数あるんじゃないか、主人公のキャラがブレてんじゃないか、小説や日常としてはおもしろいけど脚本としては物足りないんじゃないか、とか、とか……


こうやって整理すると、①と③はもうどうしようもないからほっとこ、となるし、②と④は読む力の伸び代であることがわかる ほんのり自分を責めてたのはお門違いだったってわけ 謝罪を求めます! ごめんね自分… とにかく、困難は分割せよ、ってやつだ



「みんなはおもしろいっていうけど、どこがおもしろいのかわかんない」って話からはじまって、こういう形になった おもしろさって好みなんだよね で、好みの土台にはさまざまな経験があるし、性格や思考があるし、で、その経験や思考を支えてきたものの中に能力とか環境とかがある 複雑なんだよね だから人によって感想が違う

私がおもしろくなかった、おもしろさがわかんなかった、と思ったのは事実で、変える必要ないんだよね 誰かがおもしろいと言ったのに私は違う、と孤独を感じる必要もない ましてや能力がないとか責めなくてもいい……全然ないことないし…… 私がこの会から学ぶのは、いま目の前の物語がおもしろいかおもしろくないかではなく、自分が描く話を好きと思ってもらえるように伝える技術を鍛えることなんだよね…

読むの大変だ〜っておもうことのほとんどは「わからない」が脳を占めることだったので、整理されてだいぶ楽になった なんで気づかなかったんだろう? 切り替えて整理することの難しさたるや……なんか必死になると……不安に駆られて忘れんだよな……こういうことを…… 落ち着いて生きていこうな……▲CLOSE